<昔どこかで書いたもの>
里帰り
2007.7.11up

 ドイツの小説家、ヘルマン・ヘッセは晩年の随想「幸福論」の中で、自分にとっての幸福とは何かを語り、幸福は幼年時代にだけ体験されるものだと言い切っています。なぜなら、幸福を体験するためには「時間に支配されないこと」「恐怖や希望に支配されないこと」が必要であり、「たいていの人は年とともにそうする力を失うから」だと説明しています。そして更にヘッセ自身の幸福の体験として、十歳頃の大祭日の朝を回想しています。

 それはヘッセ少年が朝目覚めてから寝床で過ごした数分間(あるいは数秒間)の「眠りの安らかな余韻とともに、始まる朝を楽しみながら寝ていた」時の事で、「静かに笑いながら宇宙と一体になっている状態、時間や希望や恐怖から絶対的に自由である状態、完全に現在である状態」であったと述べられています。

 しかし町の音楽隊のラッパの響きによびさまされ、今日は大祭日だと意識してしまった瞬間にその幸福は壊されてしまうのです。「幸福の永続は、この時、美しいものの増大、喜びの増加と過剰によってくずされてしまった。」


 この十数年前に読んだ奇妙は「幸福論」を私が思い起こすようになったのは、昨年秋の里帰りの時からでした。その頃の私は、仕事で子どもたちと接することが多くなったせいか、なぜか自分の幼少時代の事をいままでになくよく思い出すようになっていました。特に当時住んでいた家のそばの小さな港の事がたびたびなつかしく思い出されました。そして里帰りの際に、私はふと思い立ち、この港に行ってみる事にしたのです。

 港は瀬戸内海に面していますが、あまりきれいな所ではありません。四角い岩を組み合わせて作った桟橋があり、その岩の隙間からは蟹が顔をのぞかせていました。小さい頃の私はこの桟橋が恐くて渡れず、二〜三歩踏み出すのが限界でした。桟橋のずっと向こうには大きな工場の煙突が見えています。

 桟橋のとなりには水門があり、その上が少し高い台になっています。この台には小さい三段ぐらいのはしごを使って登るのですが、幼い私にはできませんでした。でも反対側に小さい階段もあってそっちの方で登ったり降りたりを楽しんでいました。

 実は私は非常に怖がりで、また不器用な面を持つ子どもでした。だからこの港には心配事が色々とありました。でもこの場所は決して嫌な場所ではなく、楽しいことも色々と予感させる場所だったのです。

 さて私は、この港のそばに建つ六畳間くらいの古い木造の社に気付き、家族そろってここで夕涼みをした事を思い出しました。その時はただ家族みんながその場所にそろっているのがぼんやりとうれしいといった感覚だったように思います。これがヘッセの言う「幸福」だったのでしょうか?

 その社に久しぶりに入ってみると、一匹の足を怪我した犬が寝転がっていました。一緒になってしまったその犬としばらく過ごしながら私は自分が癒されていくような気持ちを感じていました。



<今のコメント>

 「幸福論」は、1999年の3月に当時言語訓練の仕事をしていた幼児関係の職場の文集に掲載されたものです。引用などして、頑張って書いてますね、自分。

 でも、今読んでみると、ちょっと異論があります。ヘッセが言う意味での「幸福」って大人でも体験できるんじゃないかと、そんな気がします。確かに、体験しにくくはなるのでしょうけれどね。

 ああ、自分って、昔より今の方がポジティブになってるみたいですね。

                                                  奥山


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