うまく発音できない音がある

 

2007.12.17up

<目次>

(1)「構音」という言い方
(2)構音と年齢
(3)構音障害のタイプ
(4)こんなことに気を付けて



(1)「構音」という言い方

言語聴覚士の間では「構音」という言い方をしますが、一般の方に対しては、「発音」という言い方をした方が分かりやすいかと思います。なんでも、医学用語では「構音」で、言語学では「調音」と言う…などというややこしい決め事があるそうです。私が役所で相談業務をしていたときは、「構音」と書くと報告書を通してもらえず、「発音」と書かなくてはいけない…ということになっているようでした。「構音」という言い方は、医学的には通用しても、行政的には通用しないのですね。

とは言っても、言語の臨床というものの存在がじわじわと世間に知れ渡っていく中で、少しずつ「構音」という概念も普及しつつあるようで、保育士さんや幼稚園の先生などが気付いてくれて、「○○ちゃんは、“サ”を“シャ”っていつも言っているから、専門の先生にみてもらった方がいいんじゃない?」といった助言をくれることも、増えてきているようですね。

しかし、私の身の回りでも、時に、「うちの3歳になる子には、言えない音がある」(3歳なら言えない音があって当たり前なのですが)といった相談をお受けすることが、現実、起きてきていて、「構音」についての啓蒙が、逆にお母さん達の不安を煽ることに繋がってきてしまうこともあるのかなあ、と私は個人的に考えてしまうこともあります。

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(2)構音と年齢

日本語にはご存知の通り、いくつもの子音や母音がありますが、それらの子音や母音が、それぞれ何歳になれば言えるようになるのか?…という学者さんによる研究がいくつもあって、皆さんも、ちょっとしたアカデミックな本をのぞいてみたら、表になっているのを見つけることができるかもしれません。

私の手許にも、その手の表が5~6個はありますが、私が見たところ、実は、このような研究結果には大まかな傾向はあるものの、全く同じ研究結果というものはないように思います。それどころか、それぞれの研究結果に通ずる共通点を見つけるのが大変だったりするくらいです。

正直言って、このあたりは今のところ、学問的な耐久性のある厳密な書き方はできないと私は思うし、こういうことがはっきりしなくても、“治療がうまくいく/いかない”とは関係がなかったりもするので、賢い方はこういう自らの専門性を疑われてしまうようなヤバイことは黙ってやり過ごすのでしょうけれど、そこのところを勇気を出して書いてしまえば、つまりどうやら、ある程度の傾向はあるものの、「構音」の発達に決まった順序というものはなくて、それぞれの子どもによってまちまちであると思っていた方がよさそうな気がしますね。

大まかな傾向として、

「母音の完成は3歳くらいが目安」(3歳くらいまでは母音があいまいなのは当たり前、ということ)

「サ行音、ラ行音、ザズゼゾ、ツ、の完成は遅く、4歳過ぎになることが多い」(4歳過ぎても言えない音があるのは当たり前、ということ)

…くらいしか言えないと、私は思います。


そこで、構音の相談(構音障害といっても、いろいろあるのですが、ここでは日常生活の中で心配になってくることの多い「構音の仕方を学習しそこなってしまった」あるいは「誤って学習してしまった」ことによって起こる“機能性構音障害”というものに限定してお話しします)は、何歳くらいになって通い始めるのが妥当なのだろうか?という話になるわけですが、「4・5歳になったら」という説と、「小学校入学あたりになったら」という説と、大まかには二通りあるように思われます。

前述の「サ行音、ラ行音、ザズゼゾ、ツ、の完成は遅く、4歳過ぎになることが多い」という話からすると、4・5歳から訓練開始するのが妥当ということになるのですが、構音の発達には個人差があって、特に訓練をしなくても、遅くても小学校入学後1~2年の間に自然に正しいができるようになる場合が大部分なので、あえて幼児期から問題にする必要はない、とする考え方もあるようなのです。

訓練によって正しい構音を身に付けさせようという場合でも、実は、構音の誤りや舌の位置などを意識させて練習させればさせるほど、なぜかうまくいかなくなったり、クセのある構音を身に付けさせてしまう傾向があるようなので(だから、訓練する場合は意識させないようにすればいいのですが)、時間がかかっても自然に正しい構音を習得するということが、一番、理にかなっているように感じます。

しかし、昔はそれでよかったのかもしれませんが、最近は大人だけでなくて子ども同士でも構音の誤りに鋭敏な人が増えてきているのか、友だちに言えない音を指摘され、からかわれ、気にしてしまう、ということもところによっては起きてきているようであります。いえいえ、まだそんな細かいことはどうでもよくて、純粋に友だち同士のおしゃべりを楽しんでいるような子どもたちもたくさんいるようなのですけれどね。

あるいは小学校に入ると授業でみんなの前で本を読まなきゃいけない、ということがあって、そのときに言えない音があると困るではないか?ということも起きてくるようです。だから、小学校入学前には言えない音をなくしておかなくては、ということになってくるようでもあります。

これは非常に悩ましいことを含んでいて、一部のお子さんでは「サ行音、ラ行音、ザズゼゾ、ツ」に関しては訓練などしなくても、自然な発達としてゆったりと正しい構音を習得していけるというのに、無理に小学校入学に間に合わせなくては、という話になってきているわけなのですね。

つまり自然な発達であるのに障害として扱われてしまう(治るんですけれどね)、といった踏み込んで考え始めると、“異常と正常とは?”という哲学的な問いにまで発展しそうなことになってしまいます。

昔は、機能性構音障害といえば、小学校の何校かにつき1校は設置されている『ことばの教室』へ通って訓練するもの、というようなイメージだったのですが、言語聴覚士という職種ができ、幼児期の訓練にも対応できる施設が増えてきたこともあってか、「4・5歳から訓練開始すべき」ということが言いやすくなった時代的背景もあるような気がします。しかし、幼児期に訓練を行う場合、知的な発達や集中力の持続が伴わないというまことに仕方のない事情から、かえって悪い構音のクセをつけてしまうこともあるようで、とある『ことばの教室』の先生に聞いた話では、「あせらず、小学校に上がるまで待って訓練を開始すればすぐ言えるようになったものを、あわてて悪いクセをつけてしまったから、かえって治すのに時間がかかってしまった」という事例もあるようです。

それでは、小学校に上がってから『ことばの教室』でサポートしてもらえれば十分ではないか?という気がしてきますが、「『ことばの教室』に、クラスの授業を一人抜け出して通わなくてはいけないのが困る」といった心配や(ちなみに、それで問題が起きたという話を私は聞いたことがありませんが)、やはり、「幼児期から子ども同士で構音の間違いをうるさく言い合っているような環境である」ので心配であるとか、そんな場合もあって、一概に『ことばの教室』でいいとは言えない状況になってきているわけですね。

まあ、ですから、子どもの発達というだけでなく、社会制度や社会状況とのからみもあって、いつが訓練開始に適切なのか?という問題に答えを出さなくてはいけないわけで、非常に世知辛い気がしますが(構音のみならず、往々にして、全ての障害に関する問題には、同様に社会とのからみがあるものなのですけれどね)、私自身の今のところの判断基準を申しますと・・・、

構音障害のタイプを診断する必要はあるので(対応が異なってくる)、気になったら一度は専門家に見てもらった方がいいのではないか?」

「時々正しく言えるようになっていることや、似たような構音方法の音で言えているものがあるといった、自然治癒する可能性のある場合は、少し様子を見た方がいいのではないか?」

「友だちにからかわれていたり、本人が言えていないことを気にしているようであれば、積極的に訓練を開始するべきではないか?」

「小学校入学に間に合わせるのであれば、訓練にかかる期間を考慮し、年長さんになる前後くらいの時期をひとつの目処に訓練を開始すべきではないか?」

といったところでしょうか。私ではなくても、同じような考えを持っておられる方は多いと思います。


しかし、そんな社会の動向に振り回されず、純粋に子どものあり方に根ざした進み方を追及していこう…という道もあるのかな、という気がして、私は、そういう方こそ応援したいな...と感じますが、これは世の中の暖かさとも関係があるような気がします。

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(3)構音障害のタイプ

構音障害は3つのタイプに分類される、と私は昔、学校で習いました。おおよそは、そう理解しておくのが分かりやすいかと思います。

しかし、いろんなところでいろんなことが書かれていて、いったいどうなっているのか混乱してしまいそうですが、まあ、境界線引きなどということは、いつもあとからついてくる話で、「分類」だなんて便宜的なものだと開き直って、やはり3つのタイプで考えてみます。


構音のご相談の場合、まずお子さんのお口の中を見させていただくことになります。お口の中の各部位に欠損や形状の異常があって構音が難しくなる『器質性構音障害』ではないかを確かめるためです。

とは言っても、実際にはそんな単純にはいかないもので、お口の中を見られるのを非常に嫌がるお子さんが多くいるものです。お口の中を触られたり見られたりするのは、自分のかなり深い部分に入り込まれているような気がしてしまうのかな…と私は感じます。知らないところにきていきなり知らない人にお口を見られるのは恐い気がしてしまうこともあるでしょう。専門家が無理にお口の中を見てしまうと、その後、人間関係が築けなくなり、構音の練習がうまく進まなくなることもあります。

もちろん、最初から平気でお口の中を見せてくれるお子さんもいますが、いまひとつ不安そうにしているお子さんの場合、私も一緒に遊んで、また、手足など身体で十分やりとりをして、仲良くなると、「うん、いいよ」という感じで、お口の中を見せてくれます。逆に、お口の中を見せてくれたということはそれだけ仲良くなれたんだな…というバロメータになっているような気もします。

さて、『器質性』の問題が疑われる場合、「お子さんには何らかの医療的な処置が必要であるのか?」について言語聴覚士が判断してしまうのは、職域的にも法的にも問題があると考えられることなので、口腔外科や形成外科等を改めて受診するようにお勧めすることとなります。受診してみて、処置は必要ないと診断されることもあります。処置を行った場合は、その後の経過を見ながら、再び、言語聴覚士が構音の練習で関わっていくこともあるようです。


続いて『器質性』の問題はない、となると、今度は口唇や舌を十分に動かせないために起こる『運動障害性構音障害』ではないかを確かめることになります。

しかし、幼児の場合、運動障害がないのに、特に知能の発達に遅れはなくても意識して自分の口唇や舌をどうすれば思うように動かせるのか分かっていないことが非常に多くあるので、ちょっと確かめてみて動かせていないからといって『運動障害性構音障害』だと決め付けるのは早すぎます。驚いたことに、自分の口に“舌”というものがあることにすら気付いてないのでは?ということが、2~3歳児の場合、あたりまえにあります。

このような場合、子どもが意識していないときに口唇や舌をどう使っているのかを観察することになります。ご両親のご協力が必要になってくることもありますね。一番いいのは、「何か食べているとき」でしょう。意識しなければ、平気でペロペロとソフトクリームやスティックキャンディをなめている、などということはよくあります。それならば、そのうち舌を意識的に動かせるようになるだろうと、推測することができます。

あるいは、手足などに、お子さんの誕生時から現在までに運動障害がみられたことはなかったという場合、『運動障害性構音障害』である可能性はとても低くなるように思います。そうした生育暦も、構音障害のタイプを確かめていくために必要となってきます。

なお、運動障害によって発話がはっきりしないという場合、「構音」以前に、呼吸器や喉頭などの「発声」についての問題や、発話に抑揚がつかず不自然なおしゃべりに聞こえてしまうといった問題が生じていることが多々あります。ですので、発話を聞き取りやすくするために構音の練習だけをしていたのでは、コミュニケーションの困難さが解決されないことが多く、また、口唇や舌の動きが十分に改善されなくても発話の聞き取りやすさを改善することができる技術も生まれてきているので、この場合『構音障害』という捉え方をやめた方が、問題解決のためにはよいのではないか、ということが言われ始めているようです。アメリカあたりでは、それがあたりまえになっているようなのですが、日本では、この領域はこれまでほとんど真剣に注目されずにきていたらしく、ここ数年になっていろんな情報が輸入されてきている状態のようです。それで『運動障害性構音障害』ではなく、『ディサースリア』とか『運動性発話障害』と呼ぶ方が良いのではないか?と提唱される方も現れてきているようです。

いやいや、しかし、なぜか、これを言っている人に反対したり無視したりする専門家も多いようなのですが。学問の世界はいろいろありますのでね・・・。

さて、『器質性』『運動障害性』のどちらにも当てはまらない場合を、『機能性構音障害』であると捉えて、そこで言語聴覚士や『ことばの教室』の先生等が、あれこれ定石の手順を踏まえて、ご両親へのアドバイスやお子さんへの様々な練習を行っていくわけですが、最後に、いくつかご家庭ではこんなことに気を付けてみては、とよく言われていることをご紹介してみましょう。


なお、聴覚障害によって話し言葉全般に構音がはっきりしないということもあるので、これにも注意が必要であります。

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(4)こんなことに気を付けて


何よりも、一番気をつけて…と言われるのは、「子どもに言い直しをさせない」ということのようです。これは、ちょっと意外かもしれませんね。

子どもが「おちゃかな」と言っていたら「おさかな、でしょ?もう一度言ってみなさい」と親としてはちゃんと教えてあげなきゃ、と思うのも無理はないでしょう。しかし、言わせてみても、やはり正しく言えないで、どんどん言えない、言えない、の深みにはまっていってしまって、結局、いやな気分になってしまった、ということがあるかもしれません。

なぜ言い直しをさせるべきではないか?というと、幼児には、物理的な音はちゃんと聴こえていても、「おちゃかな」も「おさかな」も両方同じに聴こえてしまう…というような、聴覚的な認知として音を弁別できていない可能性があるからなのです。

本格的な外国語教育になじみのない大人でも、英語のさまざまな母音を全部聴き分けることができなかったり、「wrong」と「long」や「wright」「right」(この2つは同じ発音)と「light」が聴き分けられなかったり、ということがありそうですが、それと同じようです。日本語の発音に慣れているなら「l」も「r」も「ラ行の子音」に聴こえてしまうように、構音に間違いのあるお子さんには「ちゃ」も「しゃ」も「さ」も全部、同じ音に聴こえている可能性があるのです。

子どもにしてみれば、大人のお手本は自分の言っているのと何が違うのかよく分からないのに、いつも「違う」と言い直しを迫られてしまう…という状態になります。子どもはしだいに自分が間違っているらしい音を言わなくなり、いつも注意される間違う音の入った単語を避けるようになることもあります。これはある意味、障害が重くなっている…という見方ができるかもしれません。専門家といざ練習しようという段階になっても、子どもが「自分はそれを言いたくない」とかたくなに拒否して、難渋を極めることもあります。


では、どうすればいいかというと、大人は「正しい発音をお手本としてさりげなく聴かせておく」ことを地道にやっていくことが大切なようです。お子さんが「おちゃかな」と言ったなら、ママは「ああ、おさかなね!」とさりげなく普通に答えてコミュニケートしつつ、お手本を聴かせてあげる…ということのようです。正しいお手本を聴くうち、だんだんと音の違いに気付いていく…ということを期待するわけです。大人にとっても、英語の「r」「l」の違いを聴き分けられるようになるには、たくさん聴くしかない…といった理屈でしょうか。

実際、本格的に構音の練習を始めた場合でも、この音の聴き分けができるようになった段階で、自然に構音自体が正しくなることが時々あります。それくらい、音の聴き分けは重要であるようです。

また、構音の練習は、子どもに対して「あなたは間違った発音をしているので治すために練習をしていますよ」という構えをしなければしないほど、スムーズに進んでいくような気がします。逆に、音の間違いや、舌の位置や動かし方を意識させればさせるほど、難しくなっていくような気がします。とにかく、間違っていると意識させないことが重要のようです。


さて、聞き分けができるようになっても、舌や口唇の動きが未熟なため、正しい構音ができないということもあります。

この点を改善していくために、家でできることとして、食事を工夫していくことが大事だと言われています。できるだけいろんな食感のものを食卓に並べる工夫をすると良いのだそうです。いやいや、これはママが大変そうですね・・・。かたいものばかりの方が筋力がついて良さそうですが、そうではなくて、いろんな感覚をお口で味わうことが大事ということのようです。

あと、風船やまき笛やシャボン玉など、息を吹く遊びをお勧めすることもよくあります。

おしゃべりするときに使っている器官というのは、本当はすべてもともとおしゃべりに使っている器官ではなく、呼吸や摂食に使っていた器官なのですね。ですから、もともとの使い道で十分に使いこなしてみることがまずは大事ということでしょうか。


それから、もうひとつ。機能性構音障害のお子さんとお付き合いしていると、お口まわりを始め、身体のあちこちを緊張させていることに気付くことがよくあります。ですから、ほっぺやあごの下や口唇の周りなどを、ママが優しくなでてマッサージしてあげる時間を意識して作ってあげるのもいいかもしれません。

構音の指導法としてはマイナーなのですが、なぜか正しい構音をしやすくなるポーズや身体の動きがあって、身体を動かしながら構音の練習をすると、一時的ですがびっくりするくらい早く間違っていた構音が正しくなることがあります。どうやら、身体全体の緊張と構音も関係があるような気がします。

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