<目次>
(1)ちゃんとしゃべれない体験をしました
私、風邪をひいて、声が出なくなりました。
どれくらい出ないのかというと、いちばんひどいときで、どんなにうまく喉頭を調節しても「ドーレーミー…」と歌っていって、「ラー」までくると声が出ず、息の音だけになるというくらいでした。
低い声だったら出るので、それだったらしゃべるときは低い声を出した方が相手には聞き取りやすくなるだろうか?と考えもしましたが、あきらかに不自然なしゃべり方になるし、なんだか恐がられそうですし、風邪が治ったときにもこのクセが抜けなくなっていままでの声の出し方ができなくなると困るな…とちょっと不安になって、それはやめました。
ああ、こうやって書いていると、風邪をひく前の自分の声の出し方もあれでよかったのだろうか?と
ちょっと疑い始めてしまいますね。意識しちゃうとダメですね。
多分、一時的でしょうけれど("一時的”だという確信が持てず、「このまま治らないのでは?」と
ちょっと不安でもあります)、私、いわゆる“音声障害”のはしくれになったわけですが、なるほど、これだけでも人とおしゃべりする意欲は減退気味です。できるだけ短く話そうとして、細かいことはいいや…となってしまいます。(あ、私の場合、むしろ、その方がよかったりして。(苦笑))まあ、書くのは平気なので、長々書いてしまうのは治りませんけどね。
“短く話そうとするのはなぜか?”について、もうちょっと説明しますと、あんまりのどを使ってもっと声が出なくなったらいやだな…ということもありますが、相手に変なしゃべり方していることをあまり気付かれたくない…という意識もありますね。あるいは、聞き苦しくて相手に迷惑をかけているのではないか…という気もしていますね。
特に、電話は困ってしまいます。ホントに“風邪ごとき”なんですけど、出たくないです。正直、ケータイにかけてきた相手が親しい友人だとわかれば、電話に出ずにメールを送ってくるのを待つこともありました。電話に出なかったことを友人に不審がられて、これを機会に関係が遠ざかっていかないだろうか…と少し心配にもなっています。
でも出なきゃいけない電話は、頑張って出ました。やっぱり、声を出さないと聞き取りづらくって、相手に伝わらないだろうという気がして、一生懸命、声がかすれないように喉頭を調整して具合よくしゃべろうとするのですが、どうしても声がかすれたり、裏返ったりします。
だから、必ず「風邪ひいていて声が出ないんです、お聞き苦しくてごめんなさい」と謝ってしまうことになります。なんで謝るかというと、本当に相手に申し訳ない…というより、正直、変な人だと思われたくないから事情を説明しておこう…というような意識が強い気がします。うーん、そうか、私、外見を気にする人間なんだなあ。
でも、意外に電話の話し相手の方は、「いえいえ、平気ですよ」と親切に言ってくださる方や、「大丈夫ですか?」と心配してくださる方ばかりでした。世の中、まだまだ暖かいものですよね、本当に。だったら自分、堂々とかすれ声で話せばいいじゃないか…という気がしないでもないですが、でもやっぱり、ちゃんと声を出さないと聞き取りづらくって、コミュニケーションできないだろう…っていう気がしてしまいます。
・・・ということで、この体験から私が(あくまで私が)分かったことをまとめると、
急に声が出なくなって、うまくおしゃべりができないときは、
「なんとかコミュニケーションに支障が出ないように、しゃべるときに不自然な努力をしようとする傾向があるようだ。」
「これ以上悪くならないように、喉頭を大事にしようとするようだ。」
「コミュニケーションの意欲が減退してしまう傾向があるようだ。」
「面と向かってしゃべるより、おしゃべりだけで伝えなくてはいけない電話は敬遠したくなるようだ。」
「迷惑をかけている意識がある。」
「変な人だと思われたくないので、事情をひとこと話した方がいいかな…と思う。」
「実際に周囲から冷たく接せられることは、自分が思っているほどない。」
「文字によるコミュニケーションはまったく問題がない。」
…私の場合は、こんな感じでした。
ちなみに、現在、「ドレミファソラシドレミー」まで出ますが、後半はうっかりすると声が出ません。慎重に喉頭を調節しながらでないと出ません。
依然、このまま、前みたいな声はもう二度と出ないんじゃないか?という不安が多少残っています…。
ともかく、私の場合はたかが風邪なのですが、発声発語器官に問題を抱え、思うように話せなくなると、話せない不便さだけでなく、心理的にもいろんな思いを抱えやすくなって、さらにコミュニケーションを難しくしてしまうものなのだということを身をもって知ることとなりました。
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(2)話すときに使われる器官
さて、ここで、我々が言葉を話すときに使っている発声発語器官をとても当たり前のことではありますが、改めて整理してみます。
それでは、「川」で言う「上流」の方から、動く発声発語器官を挙げていくと…、
(A)呼吸器
なんと言っても、お話するときは息を使うわけです。当たり前すぎて、忘れているくらいですが。
胸式呼吸では胸郭を広げ、腹式呼吸では横隔膜を下げるとおのずと空気が肺に入ってくるので息を吸うことができます。たいていの人は、胸式と腹式を一緒にやる胸腹式呼吸をしていますが、どっちか優位な方があるようです。だいたい女性は胸式、男性は腹式が優位な傾向があるようです。
息を吐くときは、吸うときほど努力は要らないです。息を吸ったあとに力を抜くと勝手に息は出て行きます。息をしぼり出すようにするときは筋肉を使って努力しなくてはいけませんが、普段の呼吸ではここまであんまりやりません。
例えば、実際に意識してやってみるとよく分かると思うのですけれど、まず呼吸器を楽にして息を止めた状態を一旦つくったら(吸う努力も吐く努力もしない一番楽な中立的な状態で一旦ストップしておくということ)、そこから肺に残っている息を全部しぼりだして息を吐き切ってください。続いて力を抜くと息が自然に肺に流れ込んできますこの動作を繰り返すやり方で、呼吸をしてみてください。・・・普段、こんなやり方で呼吸してないでしょ?(笑)
たいていはさっきの楽にして息を止めた状態から努力して肺に息を吸い込み、続いて力を抜いて息を吐くようなやり方をしているはずです。
運動障害がある方では、思うように呼吸筋を使えなくて、呼気が不足して話をするときに支障が出ることがあります。
そして、これは教科書には書いてありませんが、私の経験からすると、知的な遅れがあって発話がほとんどない方も呼気吸気を思い通りに操ることができないことがよくあるみたいです。深呼吸や深いため息を意識してやってもらうとどうやっていいか分からない、という状態になったり、胸郭の上の方だけを使ったとても浅い呼吸になったりします。あんまり呼吸を意識させていると、ついに息を止め続けてしまい、「わー、息しなきゃ、大変だよ!!」となることもあります。意識させなければ普通に呼吸をしているような場合も多いですが、普段から不規則なリズムの呼吸になっている場合もあるようです。肺というものがあって、そこで呼吸をしていると気付いていないのではないか?という気がすることも私の経験ではありました。そういえば私も小学生の頃は、おなかに空気が入るわけないのに「おなかで息して!」などと先生に指示されて、おなかに息が入るものだと思っていましたよ。どうも、意識的な呼吸というのは自分自身の身体イメージがどれくらいできているのかと関係しているような気がします。あるいは呼吸を介助してみると、気持ちが溢れ出してきて泣き出してしまう方もいました。ということは、気持ちを抑えるために呼吸を思う存分しないで、いわゆる「息を殺している」状態になっている可能性もあることを感じます。
ちなみに、お話をするために必要な呼気は、コップに水を汲み、ストローを水面下5センチまで入れ、そのストローを5秒間吹きつづけられる分、最低限必要だと言われています。それだけの呼気圧がないと声帯を振動できないし、たいていの発話ではだいたい5秒間ごとに息を吸う区切り目がくるからだそうです。
(B)喉頭
肺を出た空気は、喉頭で声帯を振動させ声となります。
ちなみに、普段我々が聞いている声というのはこの喉頭で鳴っている音そのものではありません。喉頭で生まれた音は、その後の声の通り道の形状によりその音の周波数成分が様々に変化して出来上がっていきます。喉頭で生まれた音そのものを、日常的に聞くことはできません。
動物としての大元では、喉頭は声を出す器官ではなくて、肺に異物が入ってこないように気道を閉鎖しておく器官だったそうです。
「パピプペポ」とか「タテト」とか他にもいろいろありますが、いわゆる無声音という子音があって、例えば「パ」と言うとき、子音の「p」では声帯は振動していません。(振動させると「バ」になってしまいます。)そして「p」の後の母音「a」を言うときは声帯が振動します。
ということは、例えば「パタパタパタ…」とずっと言うときは、声帯が振動したり振動しなかったりの状態を非常に細かくコントロールしていることになるのです。これは驚異ではないですか!
(C)軟口蓋
軟口蓋というのは、お口の中の上あごの奥の方のやわらかい部分です。鼻から息を吸ってから、鏡でお口の中を見ながら「アー、アー」と何回か声を出してみてください。上あごの奥が動いているでしょ?そこらへんが軟口蓋です。
これは動いて何をしているのかというと、お口と鼻の境目を開いたり閉じたりしているのです。軟口蓋が上がると鼻に声が抜けなくなります。
「マミムメモ」「ナニヌネノ」の子音を言うときは鼻に声が抜けてくれなくてはいけないのでこの境目は開きます。でもその他の音を言うときは閉じています。
だから軟口蓋が動かなくなると(上がらなくなるということ)、鼻に抜けた声になります。反対に鼻ずまりになると、「マミムメモ」が「バビブベボ」、「ナニヌネノ」が「ダディドゥデド」のようになりますね。
(D)下顎
あごで動いているのは上顎ではなく下顎です。お話するときは、腹話術じゃない限り(腹話術でも人形の方は下顎が動いてますね(笑))下顎が細かく微妙に上下に動くわけですが、ここも発声発語器官のひとつです。
下顎には、舌や下唇がついているのでこれらの動きを支えて、動かすお手伝いもしてくれています。
(E)舌
これは、もう発声・発語器官の代表のようになっていますよね。舌は筋肉の固まりのようなもので、いろんな形状に変化します。そういうことだったら、筋肉の緊張が高い状態が続くと当然動きがぎこちなくなってしまうのもうなづけますね。
この舌を、歯から口蓋の奥までのあちこちにあてるようにして閉鎖を作ったり狭めを作ったりして、声の通り道をあの手この手で邪魔することによって子音を作っていきます。よくよく考えると、この舌の位置が数ミリ違うだけで違う子音になってしまうわけですから、恐ろしい巧緻性でもって動いてくれているわけなのですね。
(F)口唇
口唇を閉じたり開いたりして、あるいはすぼめたりして、舌と同様、声の通り道を邪魔することによって子音を作っていきます。
そうなのです、なんと子音というのは、すべて声の通り道で息の流れを邪魔することによって作られている音なのですね!
…ということで、動く発声発語器官は以上です。
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(3)聞き取りにくいおしゃべりになるのはなんで?
それでは、はっきり聞き取りにくいおしゃべりになってしまうその理由をお話したいのですが、しかし、それにはいろんな場合があるので、なかなか整理し切れません。書き漏らしてしまうこともありそうですが、でも、なんとか挙げていってみましょう。
2歳くらいのお子さんが何を話しているのか聞き取れない…というのはよくあることですから、あまり気にしない方がいいと思います。(とはいっても、気になってしまうこともありますよね…。)まだ日本語の発音で学習できていないものが多くあって当然ですからね。
小さい幼児は意識して自分の発声発語器官を操ることがなかなか難しいです。意識していないときはなんとなく動いているけれど、意識するとどう動かしていいか分からくなることがあるようです。不思議です。でも、だんだん上手になっていきます。生まれつき自分の身体なんだから最初から自分で動かせるような気がなんとなくしますが、そうじゃないみたいです。誕生とともに自分の身体を持ち、その使い方を実体験でもって学習していくものみたいです。だからやっぱり、発声発語器官もいっぱい使っていくことで、だんだん使い方を身に付けていくことができるみたいです。おしゃべり以前に、呼吸や食事で使っていくことも大切みたいです。
いつも身体的にも心理的にも慢性的に緊張していて、その緊張のせいで発声発語器官の動きが邪魔されて聞き取りにくいおしゃべりになってしまうこともあるみたいです。こういう子どもの場合、落ち着いているときは比較的聞き取りやすくなるけれど、気持ちが高ぶると何を話しているのか聞き取りにくくなることがありますね。
聴覚障害があって、発音がはっきりしないことがあります。これは、もし発音をきれいにしようと思ったらどうしても専門的な訓練が必要になってきます。
聴覚障害はないけれども、聴いた言葉の音声をうまく頭の中で処理できなくて、知っている語を「なんとなく、こんなかんじ」というところでしゃべっているから、なんだかはっきりしない…ということもあるみたいですね。これは年齢を重ねていくうちにだんだん言葉の音声について分かってきて、おしゃべりがはっきりしてくることもあるようです。しかし、将来的に、なんだかいつも間違えて言っている語がいくつか残るかもしれません。
(1)で書いたような、喉頭に問題が生じて声が出にくくなるため、言葉が聞き取りにくくなることもありますね。
あと、自信がないと、どうしてももごもごとしゃべってしまいますよね。子どもでもそういうことあるみたいです。
…と、まあ、すでにこれまで、他の解説文で私が書いてきたことのある話題と重複しているものが多いのですが、もうひとつ、最もよく知られているところで、運動障害があるため言葉がはっきりしなくなることがあります。(4)からは、そこを深く掘り下げて述べていきます。
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(4)まず専門家の世界での出来事を少しお話ししますと
日本の言語聴覚療法において、運動障害によって発話が聞き取りにくくなることについての研究は、本当にここ数年のあいだに急速な進歩が見られているようです。というのは、1980年くらいから、ちょうどその頃、アメリカで進歩してきたこの分野の研究についての情報が、2000年くらいになるまで日本に輸入されてこなかった…という事情があるようです。
この分野を今日の日本の言語聴覚療法では「運動障害性構音障害」と呼ぶのが一般的ですが、かつては「運動障害性構音障害はよくならない」というイメージがあって研究者が失語症のような分野に流れがちだったという話もあるようです。
アメリカでのこの分野における研究の歴史を振り返ると、1970年代までは「診断の時代」、1980年代からは「治療の時代」であったと言われているので、つまり、日本には「診断の時代」までで情報がストップしていて、「治療の時代」の情報はなかなか入ってきていなかった、ということになるわけですね。
だからここ10年くらいになって、ようやく「治療の時代」の情報が日本に輸入されてきた結果、「運動障害性構音障害はよくならない」というイメージは変化しつつあり、運動障害を改善したり、発話の明瞭度を上げたりすることができるなんらかの方法についての情報が、国内でも行くところに行けば手に入るようになってきているのが現状です。
そもそも、運動障害に伴う発話の聞き取りにくさというものは、構音がきれいにできるかどうかの問題だけではなくて、発話の強勢やイントネーションやリズムといった“プロソディ”からも影響されることが大きいのではないのか?と、アメリカでは1970年代までにすでに指摘されていたことのようですが、なぜか日本語では「運動障害性構音障害」という用語が普及していて、「この用語ではこの障害についての正しい認識が阻害されるではないか」という指摘がこの10年くらいの間になされるようになってきたようです。この指摘をされた方々は、「ディサースリア」「運動性発話障害」という新しい用語を提案しましたが、これらの用語も徐々に普及しつつあるようです。
さて、「ディサースリア」に対する訓練法としては、大きく分類すると次の3つがあると考えるのが一般的のようです。
・発声発語器官の運動を改善する「機能訓練」
・実際に発話しながらの「発話訓練」
・発話速度調節法(発話の速度を調節して明瞭度を上げる方法)やAAC(音声言語以外の方法で言いたいことを伝える方法)などの「代償的訓練」
あまり専門的にお話しするのは避けたいですが、「運動障害にはどういうものがあるのか?」が分からないと、特に、劇的な変化が期待できる方法とされる「発話速度調節法」についてはみなさんに、なんでそんなことをするのか納得していただけないのではないか、という気がしますので、次の(5)からは、運動障害のタイプについて述べていきます。
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(5)「釣りざお」で語る運動神経
どうやったら分かりやすく説明できるだろうか?と考えた挙句、釣りざおに例えて、アバウトに運動神経を説明してみることにします。かえって難しくならなきゃいいですが、まあ、そのあたりがどうなるかも楽しんでいただければ、ですね。
釣りざおにもいろんな釣りざおがありますが、釣りざおの手元のところにリールという糸を巻く道具をつけて、そのリールからさおに沿って並んでいるガイドをつたってさお先まで糸を通していくものがあります。
この手元のリールからさお先まで伸びている糸を脊髄(要するに背骨ですが)の中を通っている神経だと考えてください。
ここの部分の糸がガイドに絡まるなどしてひっかかると、糸を送り出したり巻いたりできなくなり、そのため、さお先から垂れる釣り針までの糸の長さも変わらなくなるので、釣りをしようにも自由が利かなくなってしまいます。遠くに投げようとしても、固い感じで糸が詰まり、すぐ手前あたりの水面にボトッと釣り針が落ちてしまいます。
運動神経でも、脳から脊髄を出るところあたりの間で神経に故障が生じると、身体がつっぱって動かなくなってしまうのです。これは「痙性」の運動障害といって、筋緊張が亢進しすぎて思うように身体を動かせなくなる状態になります。
さて、今度はさお先から釣り針までの間の糸に注目してほしいのですが、この部分の糸が切れてしまうと、リールを巻くことができても手ごたえがなく、釣れた魚を手元に引き上げることができなくなってしまいます。
この糸を神経だと考えると、脊髄から出た神経が動かしたい筋肉にたどり着くその間に故障が生じた場合には、力が入らなくなってしまいます。これは「弛緩性」の運動障害といって、筋力が低下し、筋肉が痩せ衰えていく状態になります。
さて、「運動障害」イコール「麻痺」ではなく、運動障害には麻痺以外のタイプもありますが、「麻痺」と呼ばれるものにはこの2つのタイプがあります。つまり、「麻痺」には、力が入りすぎて起こるもの(痙性)と、力が入らなくなって起こるもの(弛緩性)があるのです。しかもそれは脳から来た神経が脊髄から出る前の部分で障害されるか(痙性)、脊髄から出た後の部分で障害されるか(弛緩性)によって、現れ方が変わってくるのです。
ちなみに、私、弛緩性の顔面神経麻痺になったことがあります。20歳のときでした。お医者さんはちゃんと説明してくれませんでしたが、病院関係者が非公式に話してくれた情報によると、ヘルペスウイルスのせいじゃないか…ということでした。
左顔面が麻痺したのですが、なぜか最初は右顔面が動きすぎておかしい…と思っていました。笑うと右顔面が引きつるような感じがして、特に笑ったときに困っていました。だから右顔面が引きつるのを自分で治そうとしていました。でも3日くらいして、あ、これは左が動いていないんだ、とやっと気付いたのです。笑って引きつる右顔面は問題なかったのです。自分の身体のことなのに、そんなに分からないものなのですよ。(私だけかも?)
20日間ほど、総合病院の耳鼻科に入院したら治りましたが、その時は、1日5回の自分でやる顔面電気マッサージと自主的な顔面筋トレ(ガムを噛んだり、風船を膨らましたりなど)を病室で一生懸命やりました。でも、その他は何もすることがなく(じっとベッドで点滴を受けるという日課もありましたが)、私の場合は非常にのんびりした入院生活でした。
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(6)“全自動”運動神経で調整しています
さてさて、(5)で説明したのは「動かすぞ」という指令を筋肉に向かって伝えて、身体を自分が思ったように動かすために活躍する神経のルートの話でした。このルートを難しい用語で「錐体路」といいます。(専門書にもあまりはっきり書いていない場合が多いですが、よーく調べると正確にはどうやら、リールから釣りざおの先までが錐体路ということになっているらしいです。)
それで、この錐体路以外の運動神経を「錐体外路」と呼ぶことになっているようですが、じゃ、錐体外路って何?と言われても、特に「これっ!」とハッキリ言えるようなものではなくて、実際、錐体外路はものすごく複雑すぎて科学でもってどうなっているのかよく分かっていないこともいろいろあるのだけれど、ともかく「錐体路以外は錐体外路」ということになっているらしいです。
それで、錐体外路というのは運動において何をしてくれているのかというと、早い話が、運動の精度を上げるために調整をしてくれている、ということのようです。そして、この調整というのは、意識的にやろうと思ってやっているものじゃなくて、勝手に神経が調整してくれることになっているようです。なんというか、全自動って感じです。
再び、釣りざおの話で例えてみましょうか。
釣りざおでピュッと針を投げてみても、先についている針もそれにつながる糸もそんなに重いものではないですから、ヘナヘナというかヒラヒラというか、思うように飛んでいきません。針や糸がなんとか着水しても、水に浮いてしまうので針が魚のいる水中まで行ってくれないので釣りになりません。
それではどうするのかというと、針の手前のところに重りをつけるんですね。この重りのおかげで、針を遠くに投げることが出来るし、針も水中に潜ってくれるわけです。
それで、その重りをどれくらいの重さのものにしようかといろいろ工夫してみて、この重りならいっぱい釣れるとか、なんだかいまいちだとか、いろいろ調整するわけです。
あるいは、リールのところにはカチャンカチャンと糸のガイドが動く部位があって、ここをカチャンと動かすと、糸が出しっぱなしになり、逆にカチャンと動かすと糸を出さないようにして巻き取れる状態にすることができます。魚が釣れているのに糸が出しっぱなしになっていたら、さおを引き上げてみても魚は抵抗なくどんどん逃げて行きますからこれじゃ釣ることは出来ないわけです。でも針を投げるときは糸を出しっぱなしにしておかないと遠くまで投げられませんよね。そんな感じで、釣りのいろんな局面に合わせたリールの調整が必要になってくるわけです。
まあ、錐体外路というのはこの“重り”や“リールのカチャンカチャンとやるところ”のようなものだと思えばいいでしょうか。魚のところにうまく針が届いて釣り上げられるように、縁の下の力持ち的にいろいろ助けてくれるんですね。
ですが、まあ、分かりやすく書こうと努めた結果とは言え、ここまで単純なものに例えて説明してしまうのは、不適切なところが確かにありまして、錐体外路では、脳のいろんな部分や感覚器からの情報があれこれホントーにややこしくやりとりされているみたいです。
錐体外路の故障によって起こる運動障害には、2種類あって、ひとつが「運動低下性」もうひとつが「運動過多性」です。
その他さらに、割りに新しい専門書では錐体外路とは別枠で書いてあることが多いのですが(ごくまれに、これも錐体外路だよ…と書いてある資料に出くわすこともあるんですけれど)、小脳でも運動の調整をしてくれていて、もし小脳が故障してしまった場合は「失調性」という運動障害になります。
「運動低下性」「運動過多性」「失調性」では麻痺とは違った運動障害がみられるわけですが、それぞれがどのようなものなのかは、これまたちょっと長い話になりますので、(7)でお話ししていきます。
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(7)運動の調整が難しくなった場合
「運動低下性」の運動障害は、パーキンソン病、あるいはパーキンソン症候群(パーキンソニズム)でみられます。要するに、筋緊張の調整が難しくなって、必要な筋緊張が起こりにくくなったり、不随意運動がみられたりする状態です。
パーキンソン病の発現機序やその重症度を表す「Hoehn&Yahrの重症度分類」「生活機能障害度」といった指標についてはちゃんとしたお医者さんがきっとどこかに書いてくれていると思うし、ここでそこまで書いちゃったら(ただでさえ些末なのに)些末になり過ぎてなにが言いたいのか分からなくなってしまうので割愛させていただきますが、このページをコピペしてレポート提出しようとしている学生さんは(ダメですよ、自分の言葉にして書いてくださいよ)、ちゃんと他のところでそのあたりも調べておいたほうがいいと思いますよ!(笑)
パーキンソン病の「4大徴候」「3大主徴」と言われているものについてはここでも触れておきます。これで「運動低下性」の運動障害の特徴をまとめて話せるかな、と思いますので。
4大徴候
→振戦、固縮(筋硬直、筋強剛)、寡動(無動)、姿勢反射障害(姿勢保持障害)
3大主徴
→振戦、固縮(筋硬直、筋強剛)、寡動(無動)
…と、これまた学生さんがせっせと覚えなきゃいけなかったり、ワープロで漢字変換が大変だったりする話もあるわけですが、これらがどういうことなのか、もうちょっと詳しくお話ししますと…
振戦=安静時に手あるいは体全体に見られる一定の周期のリズムでふるえるような不随意運動。健常の人でもドキドキするとふるえちゃいますが、それも振戦の一種です。
固縮=筋緊張が高まっている状態ですが、痙性の運動障害でみられるものとは違います。痙性の場合、屈曲させた腕を他の人が伸ばそうとすると、最初は緊張して全く動かないけど、一定の力を超えると急に伸びてしまいます。一方、固縮では鉛の管をじんわりと曲げ伸ばしするような抵抗がある緊張や、歯車を動かすかのようにガタガタと小刻みに動く抵抗の緊張がみられます。
寡動=運動範囲や運動速度が低下します。また、歩き出そうとしてもなかなか歩き出せないといった運動開始困難や、逆に止まろうとしても足が止まらなくなってしまういわゆる「突進現象」がみられます。「運動低下」というとさぞかしゆっくりになるんだろうな…とひょっとしてみなさんは、そんなイメージをされるかもしれませんが、実際には狭い歩幅で速いすり足のようになることや発話がとても早口になって、そのために発話が聞き取りにくくなることが多いので、「運動低下」という言い方は誤解を生むのでは?と私は思ってしまうこともありますが…。
姿勢反射障害=立っているときに突然押されると、健常の人の場合、一歩前に足を出すなどして、倒れないようにバランスを保とうと反射的にしますが、パーキンソンの方の場合、押された方向に小走りになったり、足を一歩も出せず棒のようになったりして、そのまま倒れてしまいやすくなります。
発話面では、前述の早口になることだけでなく、声帯が十分に閉まらず、かすれ声になって、声量も落ちてしまうことや、それらに伴いイントネーションも乏しくなることや、文章の終わりを何回も繰り返して言ってしまう現象や、舌・口唇・下顎の動く範囲が(動くのだけれども話すときは)狭まってしまうため子音の発音を誤ってしまうこと・・・などがみられます。
次に行きましょう。
「運動過多性」の運動障害というのは、勉強してみてもあまりすっきりしないところであります。これに属する不随意運動の数がとても多いからです。中には私などまだ実際には見たことのない不随意運動も多数あって、「この不随意運動は何か?」を鑑別できるようになるのが、なかなか大変なことでもあるようです。
「ハンチントン舞踏病」という疾患がよく運動過多性の例に採り上げられますが、この疾患では、かなり速いランダムな「舞踏運動」と呼ばれる不随意運動がみられます。
発達の分野でよく知られているのは「アテトーゼ(アテトーシス)」と言われるもので、これはゆっくりとした動きの強い筋緊張を伴った持続的でもがくような不随意運動ですが(と、言葉で言われてもよく分からないですよね。そういうところが不随意運動を学ぶ難しさなのですが)、実は「アテトーゼ」は「ジストニー(ジストニア)」と言われる身体・手足・首の筋が意志と無関係にねじ曲がるように動く不随意運動の一種である…と分類されていて、それにしてもアテトーゼは知っていてもジストニーは知らない、という方も恐らく多いのではないかと思われますが、ちょっとそんな感じで不随意運動の分類は複雑なことになっています。(ここ読むのもややこしいでしょ?(笑))そもそも、ジストニーに属する不随意運動がこれまた山のようにあって、運動過多性の運動障害全てになると、かなり勉強し甲斐があるところでありましょう。
しかし、いまのところ、なんと「運動過多性」の運動障害のリハビリ法というのは皆無らしく、だいたい治療といえば薬物療法になってしまうので、セラピストの人にすれば、そのあたりの事情に気付くと今度は「運動過多性」というのはあまり勉強し甲斐のないところになってしまいます。でも逆にまだまだ開拓する余地がたくさん残されている分野なのかもしれませんね。
発話面では、やはり、それぞれの不随意運動によって異なった特徴がみられるわけですが、基本的には、発声発語器官に不随意運動がみられる場合なら、そのためにプロソディが障害されることがあるようです。
さてここで、知的障害者にとっても錐体外路系の運動障害が決して無縁なものではなく、ちょっと気をつけておいたほうがいいことがあるので、書いておきます。
他傷や自傷をしてしまうなど本人が落ち着けない状態をどうにか改善しようと、向精神薬でもって薬物療法を行う場合に、その薬物の副作用として“パーキンソン症候群”や、“ジスキネジア”と言われる薬物による不随意運動が挙げられている場合があります。
とある「統合失調症」「躁病」に効果・効能があるとされる知る人ぞ知る抗精神病剤(別に統合失調症とか躁病とは診断されていなくても、「暴れる」というのでこの薬の服用を医師に指示されているケースは時々あるように思います)の説明書(添付文書)を見ると(医薬品の添付文書を検索してダウンロードできるHPがあります。必要があれば、調べてみてくださいhttps://www.info.pmda.go.jp/psearch/html/menu_tenpu_base.html)、副作用の一覧表に「錐体外路症状」という項目が設けてあって、
(発現の頻度)5%以上
→パーキンソン症候群(振戦、筋強剛、流涎、寡動、歩行障害、仮面様顔貌、嚥下障害等)、アカンジア(静坐不能)
5%未満
→ジスキネジア(口周部、四肢等の不随意運動等)、ジストニア(痙れん性斜頸、顔面・喉頭・頸部のれん縮、後弓反張、眼球上転発作等)
と記載されています。
ですので、この薬を服用している場合は、これらの症状が出ていないか、周りの人は気をつけて見ておいてあげた方がいいと思います。
というのは、この説明書には次のような記載もあるからです。「長期投与により、遅発性ジスキネジア(口周部の不随意運動、四肢の不随意運動等を伴うことがある。)があらわれ、投与中止後も持続することがある。抗パーキンソン剤を投与しても、症状が軽減しない場合があるので、このような症状が現れた場合には、本剤の投与継続の必要性を、他の抗精神病薬への変更も考慮して慎重に判断すること。」
ちなみに、これを服用している場合、さらにこれらの副作用を抑えるために他の薬(抗パーキンソン剤)も一緒に服用するようにお医者さんから指示されている事が多いようです。そして、そっちの薬にも副作用があるわけなんですけど、さすがにその副作用もまた別の薬で抑えてくれているかどうかは、私はよく知りません。
ついでに運動障害とは関係ないですけど、さっきの薬の説明書の精神神経系の副作用の欄には
5%以上
→不眠、焦燥感、神経過敏
5%未満
→眠気、眩暈、頭痛・頭重、不安、幻覚、興奮、痙れん、性欲異常
頻度不明
→抑うつ、知覚変容発作
とも書かれています。
私は薬は専門外なので、勝手なことは言えませんので、事実、説明書に書かれていることをそのまま紹介するにとどめますが、思い当たる節のある方は、きちんとお医者さんに聞いてみたほうがいいかもしれません。
あらゆる向精神薬に関して、副作用をあらかじめ説明してくれないお医者さんは用心したほうがいい…などと、最近は言われるようになってきているようです。
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(8)小脳のお話
小脳に損傷があると「小脳失調」という状態になります。「小脳失調」は「運動失調」のひとつです。「運動失調」には、「小脳失調」「脊髄性失調」「迷路性失調」などがあります。
ああ、ややこしいことを書いてしまいました。(笑)でも、さらにややこしいの続きます。
「失語」「失認」「失行」など、脳の損傷による障害には「失」がつくものがいくつかありますが、「失調」というのも、その仲間のような気がしてしまいます。でも、微妙に何か違う印象も受けます。「失語」「失認」「失行」は、大脳が関わるヒトでないと起こり得ない障害であるのに対して、例えば「運動失調」というのは、小脳等が関わる運動機能の障害なので、他の動物でも起こりうることがありえそうです。(と思って、今、ネットを検索してみたら、やっぱり犬などでも運動失調は起こるみたいですね。)
「失調」がつく言葉では、みなさん、「栄養失調」や「自律神経失調症」や「統合失調症」をよくお聞きになると思いますが、同じ「失調」がつくから「運動失調」と関係があるのかな?と専門書を調べてみても、これが今ひとつ結びついてこないんですね。
英語では
「運動失調」・・・ataxia
「栄養失調」・・・malnutrition
「自律神経失調症」・・・dysautonomia
「統合失調症」・・・schizophrenia
(「統合失調症」をunification ataxiaと直訳するのは誤りとされている。ちなみにその昔「精神分裂病」と呼んでいたときも英語ではschizophreniaだった。)
…と言うそうで、これらには全く違う単語が当てはめられているようです。ということは、やはり、これらは別のものなんだけど、たまたま日本語にするときに全部「失調」ってついちゃったから、日本語限定でまぎらわしくなってしまった、ということですかね?(ああ、あと中国語でもかな?と思ってataxiaの中国語をちょっとネット検索してみましたが、日本語とは違う単語が使われているみたいでした。)
「失調」とはすなわち「調節を失う」わけなのですが、小脳は動物のあらゆる運動における複数の筋と筋との適切な緊張や弛緩を協調させるいわば「調整役」で、損傷されると次のような症状を起こすと言われています。
測定障害=運動範囲や運動する距離をうまく調整できないため、例えば、指先で自分の鼻に触れようとしたり、向かい合っている人が差し出している人差し指に映画『ET』のように触れようとしたりしても、うまく触れず、行き過ぎたり距離が足りなかったりします。
共同運動障害=ある一つの動作をするとき、通常は身体のバランスをとるため自然にいくつもの筋肉の動きや緊張が伴ってきますが、これを「共同運動」と言います。例えば、立ったまま身体を後ろにそり返らせると、通常は倒れないように自然にひざを曲げたり、腰の筋肉を緊張させてバランスをとろうとします。しかし、共同運動が障害されると、ひざが曲がらずバランスがとれなくなって後ろに転倒してしまいます。
変換運動障害=手のひらで自分のひざをたたいてすぐに今度は手の甲で自分のひざをたたく、といった2つ以上の要素からなる動きをずーっと続けてやる運動を「(交互)変換運動」などと呼びます。言語聴覚療法では「パタカパタカパタカ…とずっと言って」みたいなのが有名といえば有名ですが、あれも変換運動ですね。障害されると動きがぎこちなくなったり、もつれたりします。
企図振戦=パーキンソン病などの振戦はじっとしているときに起こりますが、小脳の損傷によって惹き起こされる振戦は、何か物をつかもうとするときや、指で触れようとしたとき、対象に手が近づくにつれ振戦が激しくなります。これを「企図振戦」と言います。
時間測定障害=「よういドン!」とやるときや「ストップ!」とやるときに遅れてしまう感じで、日常的な動作でも開始や停止のタイミングが遅れてしまいます。
平衡障害=立ち上がるときに身体が前後左右にふらついてしまいます。ふらついてしまうので、立ち上がったときには両足を大きく広げ、両手でバランスをとろうとします。話しかけられた時など注意がそれると転倒してしまうこともあります。座っているときも姿勢が不安定になります。
眼振=自分のまわりにいる人にお願いしてその場でぐるぐると10回くらいまわってもらってその後、その人の眼を見るとびくびくと目の玉がリズミカルに動いているのが確認できます。(自分ひとりでやって鏡で見ようとすると、がんばって見ようとしてしまうせいなのか、なぜか動きが止まってしまうみたいです。)これを「眼振」と言います。それはくるくる回るともちろん眼も回るので、この眼振は当たり前の正常なものですが、小脳に損傷がある場合、くるくる回らなくても一点を注視したときに眼振がみられることがあります。
筋緊張低下=小脳の損傷によっても筋緊張の低下が起こってくることがあるようです。
こうして考えると、人の身体を動かすためには普段は目立たない不思議な神経系の働きがあることに気付きますね。小脳のおかげで、動物はなめらかな動きをすることが可能になります。
発話面では、小脳が損傷されると、ろれつが回らない感じで、発音が不正確になり、とぎれとぎれの話し方になったり、意図せず急に大きな声を出してしまったり、不自然なアクセントをつけてしまったりすることがみられます。
稀にみられる大脳性の失調というものもあるそうですが、知的障害といわれている方たちの中には「空間認知の問題」とうっかり誤ってとらえられてしまいがちな運動失調の問題が隠されている場合がある可能性を感じます。
スイッチを押そうとしても指先がなかなかスイッチのところにいかない、とか、電灯のスイッチひもをつかもうとしても、空中を探るようにしてなかなかつかめない、とか。
こういうのを「空間認知の問題」と認知の問題だけとして言ってしまったら元も子もありませんが、「眼と手の協応ができていない」くらいの言い方なら、本質に近づいているのかな、という気がしないでもないです。まだ、運動の問題を含んだ捉えができそうだからです。
ただ、ケースによってはこれは純粋に運動失調の問題である可能性もあるわけです。
あるいは「感覚統合」という捉え方も、発達の分野でこういった問題を取り扱えるひとつの見方を提示してくれているのかな?
その他、運動障害ではありませんが、小脳は身体で覚える技能(例えば自転車の乗り方や泳ぎ方など)を記憶している場所ではないか?という説も近年有名になってきていて、若干、世間の人も大脳ばかりに注目している場合じゃなくなってきているはずです。「身体で覚える技能」ってどこまでのことなのか?も気になります。発話の中でも、「あいさつ」やいわゆる「話芸」やファーストフード店の店員さんのマニュアル会話のような明らかに身体で覚えていると言っていいようなものもありますからね。
驚いたことに、昆虫にも1ミリ程度の小脳があって、そのさまざまな行動を制御しているということが科学でもって明らかにされてきているようでもあります。
ただ、小脳にはまだ分からないことがとても多いらしくて、その科学的な知見をどう使っていいやら…というところはありますが、それは比較すると圧倒的多数の学者さんに注目されているであろう大脳にもそんなところはありますから、小脳ばかりを責めてはいられませんね。
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(9)「混合性」について
ということで、運動障害のタイプには「痙性」「弛緩性」「運動低下性」「運動過多性」「失調性」があるわけですが、さらにもうひとつ、これらのタイプのうちの2つ以上が同時に現れる「混合性」というものもあります。
全く反対の特徴のように思われる「痙性」と「弛緩性」が混合するという場合も(筋萎縮性側索硬化症(ALS)でみられます)、(こちらはあまり研究されていないようですが)「運動低下性」と「運動過多性」が混合するという場合も(脊髄小脳変性症の一種=特に線条体黒質変性症(SND)でみられると考えている人がいるようです)あるようです。
しかし、実際の徴候としては、2つのタイプが混合すると症状も2倍になって出現するというものではなくて、“こういうところは痙性のようだけれど、他のこういうところは弛緩性のようだ”と特徴がばらばらに目立ってみえるような状態になるそうです。
つまり、運動障害を起こしている神経の損傷部位が2箇所以上にわたって存在している場合には、「混合性」だと考えた方がいいだろう、とそういう考え方をしているわけですね。“特徴”よりも“原因”でタイプを分類しているということです。
ちょっと話が横道にそれますが、知的な障害の場合は、“原因”よりも“特徴”でタイプを分類しているんですよね。こういう科学としての姿勢の違いは、興味深いところです。
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(10)筋緊張緩和か?筋力増強か?
それでは、どうやって運動障害による発話の不明瞭さを改善していくのか、その方法について、概観をお話しします。
一番分かりやすいのは、弛緩性の場合だと思います。筋肉に力が入らないんだから、力が入るようにトレーニング(いわゆる筋力増強訓練)すればいいわけです。これは(4)で少し触れた「機能訓練」というものになります。
…ということになると、痙性の場合は、力が入りすぎて思うように動かなくなるのだから、力を抜く練習をすればいい、と考えられるような気がしてきます。
実際に、痙性のディサースリアの方の力を抜くことで、運動障害を改善しようとする方法があります。目立ったところで、ストレッチ体操をしたり、リラクセーションをしたりする方法については、専門書にもよく紹介されています。さらに、だいたいの専門書には、「痙性の構音障害に筋力増強訓練は禁忌である」とも書かれています。
しかし、最近の研究では、「ストレッチやリラクセーションで痙性の運動障害が改善されることはない」と科学的な根拠を示した上で言われるようになってきていて、それがしだいに常識となりつつあるようです。ただし、一時的に動きが良くなることはあるそうですが、しばらくすると、またすぐ元に戻ってしまうそうです。
一方で、心理臨床の領域で開発された「動作法」という方法では、ストレッチやマッサージのように他の人に筋緊張を緩めてもらうのではなくて、自分で筋緊張に気付いて、心理的に自分で力を抜くやり方を習得することで、長く痙性を抑えることができる…としているようです。また、その流れを汲み教育の領域で開発された「静的弛緩誘導法」という方法もあるようです。
これらの流派の動向にも、今後、目の離せないところがありますが、また他方で、今現在、科学的根拠のある方法として出現し始めているのは、むしろ“筋力増強をすることによって、痙性は抑制できる”という考え方のようです。なんと、ここ数年間で常識が180度、変わってしまいそうな状況です。
つまり、痙性のディサースリアを改善する方法は、弛緩性のディサースリアを改善する方法と同じ、と考えていることになります。ただし、痙性の場合は、ストレッチによって一時的に筋緊張が緩んだ状態をつくっておいて、その上で筋力を増強するトレーニングをすると効果的であるとも考えられているようです。逆に、弛緩性の場合には、アイシング(氷で力の入らない部位を冷やしてやると、一時的に力が入りやすくなる)やタッピング(力の入らない部位を軽く指でトントンと叩いてあげると、一時的に力が入りやすくなる)を行って、その上で筋力を増強するトレーニングをすると効果的であると考えられています。
弛緩性(考え方によっては痙性)ディサースリアの場合、発話に関わる部位の筋力を増強する必要があるわけですから、(2)で紹介した、呼吸器・喉頭・軟口蓋・下顎・舌・口唇のうちの、動きにくくなっている部位が、その対象となるわけです。
このうち、下顎・舌・口唇の筋力増強は目に見えやすいので、分かりやすいと思います。これらの部位をまだ動かしにくいという場合には、セラピストが適度に(手伝いすぎないように)助けながら動かして、筋トレしていきます。そのうち動いてくるようになってきたら、バーベルを持ち上げるかのように動きを邪魔する抵抗を加えて、それに逆らって動かすやり方でさらに筋力増強を促します。
運動学習理論では、筋力増強させたい部位を動かしきったところで3~5秒止めて筋の収縮を持続させ、その後パッと緩める(ここできちんと緩めるようにすると、効果的だそうです)練習を10回×3セット行うことで、効果が上がるとしています。皆さんも実際に、例えば舌を前に思いっきりべーッと出したまま5秒間、力を入れて頑張った後、パッと緩めるトレーニングを10回×3セットやってみるとお分かりになるのではないかと思いますが、これは意外にキツいです。エネルギーの消耗が多いので、ちゃんと栄養を摂って行うように気をつけなくてはならないくらいです。
軟口蓋については、比較的ゆっくりと口から息を吹くとなんとなく軟口蓋が上がって、息が鼻に抜けなくなるので、吹く練習で動きを賦活していく方法が代表的です。また、PLPという器具を歯科で作ってもらい、これで日頃から少し軟口蓋を持ち上げておく状態にしておいて軟口蓋の動きを賦活していく…という方法があります。PLPは効果が高いようであちこちの専門書に記述がありますが、PLPが有名な割にはPLPをどこに行けば作ってもらえるかはかなり場所が限られてくるという不思議な状況があります。
喉頭については、声帯を閉じるように促したり、逆に声帯を閉めすぎないで緩めるように促したりする、本当に見ているだけでも面白い職人技的な手技がいくつかありますが、なかなか一時的な効果しかないものが多いようです。しかし、一時的にでも発話するのにちょうどいい喉頭の状態を味わっておくのが運動障害のある人の役に立つのではないか?という感じで、練習を行うようです。
呼吸器については、息をしぼり出して吐き切るようにセラピストが介助しながら呼吸を深くしていく方法があって、専門書にもよく紹介されていますが、現在のところ、この方法は効果が認められないとされているようです。それに対して、息をしぼり出させることなく、自然な呼吸にセラピストの手で寄り添うように介助する方法もあって、こちらの方法は科学的にも効果が認められるとされ、徐々にSTの間に広まってきているようです。これはやってもらうと分かりますが、健常の人でも気持ちよくって、ウトウトしてくるほどですよ。
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(11)要は、発話明瞭度が改善すればいいのだ。
さて、言語の臨床では、筋力増強を行うことによって、できうる限り発声発語器官の動きを改善しようと努めますが、やはりケースによっては十分に改善ができないということもあります。
しかし、必ずしも「発声発語器官の動きの良さ」イコール「発話の明瞭度の良さ」ではなくて、なんと、動きが十分でなくても発話の明瞭度を上げることはできます。
「発話の明瞭度を上げる」というのは少々難しい言い方ですが、つまり「何を話しているのか聞き取れる状態にする」ということですね。
言語聴覚療法では、発声発語器官の動きを正常にすることを最終的な目的としているわけではなくて、あくまで発話の明瞭度を上げることで、よりその人がコミュニケーションをしやすくなることを目指します。つまり、(10)で説明した発声発語器官の動きの改善はコミュニケーションのやりやすさを助けるひとつの方策でしかなかった…ということなのですね。
ここのところの発想は、とても重要です。
多くは子どもにみられる“発声発語器官の動きに問題はないのだけれど、構音のやり方が学習できていない”ために構音を誤ってしまう「機能性構音障害」の臨床では、全ての音をきれいに言えるようになることを目指しますね。
でも、運動性の問題であるディサースリアでは、正しく構音できない音があっても、相手に自分が話していることを聞き取ってもらえるようになって、コミュニケーションがうまくいけばそれでいい…ということになるわけです。
ただし、その人のQOL(Quality of Life=生活の質)を考えて、例えば、人前で話をすることの多い職業の人などでは、正しい構音で話ができることがその人の生活や人生にとって大切なことである場合もあって、構音の正確さもできる限り改善していくことが必要になってくることもあります。だから、どこまでできれば言語の臨床を終了するのか?という基準が、全ての人に同じように設定されているのではなくて、その人がどんな生活を送っている人なのかによって、まちまちに変わってくる…ということが起こります。
このような発想は、“なかなか運動障害は完治しにくい”という現実にセラピストが向き合う中で出てきたものではないかと想像されますが、逆にその視点から、時に過剰なくらいに幼児期のちょっとした構音の誤りを気にしてしまう風潮が感じられる機能性構音障害の周辺を見てみると、いろいろ考えさせられるところがあるように思います。
さてさて、話を元に戻しまして、それでは筋力増強以外にどんな発話の明瞭度を上げる方法があるのか?といいますと、「発話速度調節法」というものがあります。
これは、要するに、ゆっくりしゃべるというだけの方法なので、うっかりするとナメられてしまいそうですが、ヨークストンというこの道ではちょっと知られた学者さん達が「これほど劇的に効果がみられるものは他にない」と著書に書いてしまっているくらい、ちょっと試してみるとあれよあれよとばかりに明瞭度が上がることがあるという、役に立つことの多い技法です。
麻痺によって発話の明瞭度が低下する「痙性」「弛緩性」の場合でもゆっくりしゃべることでお話が聞き取りやすくなることは多いです。麻痺では、速くて正確に動かすことは難しいけれど、ゆっくりだったら正確に動く…ということも多いせいでしょうか。
また、なめらかな発声発語器官の動きをできなくなることで起こる「失調性」の場合でも、ゆっくりしゃべることによって、効果的に明瞭度を上げることができます。(ただし、後に紹介するタッピング法はぶつ切りなしゃべり方がひどくなってしまうので「失調性」では用いるべきではない…とされています。)
むしろ早口になってしまって明瞭度が低下する「運動低下性」の場合は、ゆっくりおしゃべりできればもちろん明瞭度が上がりますよね。
とういうことで、発話速度調節法は「運動過多性」以外のどのタイプでも効果をあげることができる方法ということになっているようです。しかし、用いられるタイプは幅広くても、全ての人に効果があるわけではなく、人によっては効果がないばかりか、かえって明瞭度を低下させてしまう場合があるので、そのあたりを気をつける必要はあります。
発話速度調節法の中で、最もよく知られた単純なものに「タッピング法」と「モーラ指折り法」があります。
例えば、「エアコンをつけて」と言いたいときに、「タッピング法」では、自分の手や足を「パンッ・パンッ・パンッ・パンッ・パンッ・パンッ・パンッ・パンッ」と叩きながら、それに合わせて「エ・ア・コ・ン・を・つ・け・て」と区切って言うわけです。
「モーラ指折り法」では、手の指を順番に折りながら、「エ・ア・コ・ン・を・つ・け・て」と区切って言います。
それが、これ、こんな単純なことが馬鹿にならなくて、私の経験からしても、初めてやってもらったときから明瞭度がアップすることがめずらしくありません。本当に驚きます。
他にもいろいろありますが(パーキンソン病の方に使われることの多い「ペーシングボード」という簡単な道具を用いて区切って言う方法の普及が最近は目覚しいようです)、こういう方法では本当に間単に明瞭度を上げられる反面、発話の自然さは著しく失われてしまうまずさがあります。
それで、できるだけ自然度を保てるような(いくらかは不自然になりますが)ゆっくりとしたおしゃべりのやり方があって、それを身に着けてもらう方法もあります。「リズミック・キューイング法」という「失調性」や、痙性の麻痺が左右どちらかの一側に現れるいわゆる「UUMN」と言われるタイプで効果がみられるという画期的な方法が知られてきているようですが、これらは、比較的、少々学習に時間がかかって、すぐにできるようになるような方法ではないです。
「痙性」「弛緩性」のディサースリアでは、かなり多くのケースで、教えなくてもなんとなく発話の速度がゆっくりになっていることが多いそうです。どうやら、自分が一番おしゃべりしやすい速度になんとなくいつのまにか自分でしてしまう傾向があるようなのです。(前述の、発話速度調節法を用いてかえって明瞭度を低下させてしまう状況は、教えてもらわなくてもすでに自分で自分の一番おしゃべりしやすい速度を見つけているのに、それを変えられてしまうから起こるようです。)だから、“おしゃべりしにくかったらゆっくり話すようにしてみる”というのは言ってみれば自然なことであるかもしれません。不自然なおしゃべりの仕方になるのが自然、という…。
あえてゆっくりおしゃべりする方法を身につけようということになると、前述のように明瞭度は上がっても発話の自然さは失われていくことになりますよね。ですから、この方法の練習を行う前には、必ず本人や家族等のまわりの人に、言語聴覚士は「明瞭度は上がるけれど自然度は低下する」という旨を説明して承諾を得なくてはいけない…ということが言われています。もっとも、明瞭度が上がってきた時点で、できるだけ自然度を取り戻せるような話し方はどの程度のゆっくりさ加減で、どの程度、意識しておしゃべりする必要があるのか?などといった感じで、明瞭度と自然度とのバランスをとることも行うことになります。
どうしても伝えなくてはいけないところで一言だけワンポイントで発話速度調節法を使う…というやり方もあるように思います。
…さて、「何を話しているのか聞き取れない」ためにおこるコミュニケーションの問題を解決する方法として、もうひとつ「AAC(代替コミュニケーション)」がありますが、それについては、こちらに詳しいので、こちらをお読みください。
https://wakabaroom.kakurezato.com/hatsugoganaku.html
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