「ことば試着室」へようこそ。
世の中、きれいで強くてよく出来てカッコよくなくては 人に大事にされないような気がいつのまにかしてしまい、 そういう人間になろうといつのまにか努めることは多いわけですが、 正面切って「そういうもんだ」と言われてしまうと、 「いやいや、そういうもんじゃないだろう」という反論を こころのどこかでしたくなったりして。
そこで、ジャズの名曲「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の歌詞です。
「ヴァレンタイン」というのは、男の人の名前だそうです。 だから、本当は女性が歌うラブソングですよね、これ。 男性もよく歌ってますが、『さそり座の女』みたいなもんでしょうか。
もともとは、1937年にブロードウェイで上演された ミュージカル『ベイブズ・イン・アームズ』の中で歌われた曲だそうです。 このミュージカル、1939年に映画化されたそうですが、 ヴァレンタインさんは、小柄でずんぐりしていて 本当にこの歌詞のとおりの俳優さんが演じていたそうです。
ギリシャの彫刻よりは見劣りするし 口許はちょっとだらしなくて その口をついてでる言葉はちっとも気がきいていない
でも、髪の毛一本だって変えないでね 私のことを好きならね
作詞 ロレンツ・ハート 訳詞 村尾陸男
(『ジャズ詩大全 別巻・クリスマス編』より引用 )
いやはや、こんな次元があるのだなあ、と。 意外に、当たり前かもしれませんが。
もちろん、この曲は、英語で歌われるし、 ジャズの場合、歌なしで演奏されることも多いので、 リスナーにしてみれば、 まずこの曲のシリアスなメロディを知って「いい曲だなあ」となってから、 その後、歌詞の意味を知ると、 それまでのロマンチックなイメージが台無しになって 「バレンタイン・デーにはふさわしくないじゃないか」と期待がはずれ、 「変な曲だ」と片付けられてしまうことがよくあるようです。
でも、「子育て」や「そのままでいいんだよ」というような文脈にずらして歌詞を読むと なんだか違う意味に読めてくるような気がするのですが・・・。 で、実際、その文脈で解釈した方が、 メロディにあっているかもしれない気もするんですね。
例えば「ヴァレンタイン」を、 自分のお子さんや 自分の名前や、 はたまた自分の旦那さんや親の名前に置き換えて読んでみると、 なんともいえない気分になるんじゃないですか、きっと。
涙が止まらなくなるかも。 結構うずいて耐えられないかも。 一方、平気という方もおられるかも。 怒りが湧いてくる方もおられるかも。 笑いがこみ上げてくる方もおられるかも。 いくらなんでもそんなおかしな外見はしてない!と思う方もおられるかも。
ま、そんな感じで、ご試着を!
実際に、曲を聴いてみると、 Aメロをやって、サビやって、またAメロに戻ってくるところの 「But don't change a hair for me (でも、髪の毛一本だって変えないでね)」が、 深く感じられて、泣かせます。 髪の毛一本も変えないでって、 ものすごい肯定の仕方じゃないですか!
多少、「for me」とか 「私のことを好きならね」いう断りが気になりますが、 とりあえずは言われてうれしければいいじゃないか、ということで。 まあ、そこらへんのご試着もどうぞ。
そうそう、「そのまま」について、子どもで言えば 「ずっとそのまま何もできなくていいよ」というのではなくて、 大人が「そのままのあなたでいいんだよ」と子どもに伝えていくことで、 子どもが自分を「自分のままでいいんだ」と感じつつ、 そう感じているが故に、 よりおおらかに自分を成長させる力を発揮して どんどんお兄さんお姉さんになっていければ、 「このままの自分じゃいけない」といつも感じて成長していくより 子どもはきっと幸せじゃないかと思うわけです。
・・・ということで、 今日のご試着は、お気に召しましたでしょうか?
・・・ええ、じっくり味わってみたけれど、 お気に召さないってことも、ありますから、大丈夫。
次のご試着をお楽しみに!
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