「心身の成長と、
「困り感」の解消を目指して、
お子さんの気持ちや暮らしと
もっと向き合いたい。」
子どもが変わる。温故知新の療育の智慧とは?
オンライン相談のご予約は↓こちらから。
Squareサイトの予約システムに移動します。
「このままでは立ち行かない」と危機や困難を感じておられる方へ
あなたは、お子さんのどんなことで困っておられますか?
解決に向かって、前に進めていますか?
専門家からのサポートやアドバイスに納得しておられますか?
もしもあなたが現在、お子さんのことで行き詰まりを感じておられるのでしたら、本ページがお役に立てるかもしれません。
・今のセラピーでは、子どもが変わっていきそうには思えなく、ご自身の「困り感」も解消できそうにないと感じておられる方。
・ご自身の実感や思いを共有できる人になかなか出会えない、分かってもらえない、安心できない、不安を抱えておられる方。
・現行の療育サービス・特別支援教育=「発達障害」コンセプト前提のサポートに疑問を感じておられる方。
・どのセラピーも療育も同じだと失望しておられる方。
そんな方々に、お子さんの成長とその支援についての疑問を解き、前進への道筋を見つけていただく手掛かりをお伝えできればと考えました。また、お子さんを一人のかけがえのない存在として認め、受け入れていくことも大切にしながら、お手伝いできればと考えました。
一方で、もうすでに良い方向に進んでおられるのでしたら、是非、今の環境を大切にして下さい。きっと、良い出会いに恵まれておられるのでしょう。せっかくご覧いただいたのにもかかわらず申し訳ございませんが、拙ページをこのまま閉じていただくよう、お薦めいたします。
「それなりにも、今のままで十分」とお考えの方は、現状維持されるのが間違いなく良いです。私は、ここで、「このままでは立ち行かない」と危機や困難を感じておられる方に、ひとつの打開へ向かう道筋として、昨今、あまり触れられることのなくなった意外な視点や切り口と、その可能性について、ご紹介したいのです。
あまり振り返って検証されませんが、「発達障害」概念を巡る歴史はポジティブなものだったの?
日本では、1990年代以降、特に2000年代に入って、「発達障害」概念が一般に広がり始めました。その頃からのこの概念普及に関わるトピックを経年順に並べ、それぞれの該当年度の日本全国の特別支援学級(小学校)在籍児童数を併記してみました。特別支援学校の在籍児童数も見ていただきたいところですが、ここではだいたいの概略を感じていただきたいので、特別支援学級のみで示しております。
「発達障害」概念普及に関わるトピックと児童数の推移
| 年 | トピック | 当該年度の 特別支援学級(小学校) 在籍児童数 |
|---|---|---|
| 1987年 | DSM-Ⅲ-R出版 | 58,978人 |
| 1994年 | DSM-Ⅳ出版 | 44,319人 |
| 2000年 | DSM-Ⅳ-TR出版 | 49,513人 |
| 2005年 | 発達障害者支援法施行 | 67,856人 |
| 2006年 | 障害者自立支援法施行 | 73,151人 |
| 2007年 | 特別支援教育実施 | 78,856人 |
| 2010年 | 障害者自立支援法改定案成立 | 101,019人 |
| 2012年 | 障害者自立支援法廃止 児童福祉法改正(児童発達支援制度の始まり) |
113,961人 |
| 2013年 | 障害者総合支援法施行 DSM-5出版 |
120,906人 |
| 2022年 | DSM-5-TR出版 | 250,335人 |
| 2023年 | 263,081人 |
在籍児童数は「学校基本調査」(文部科学省)による
2000年までは5万人に満たなかった児童数が(むしろ減少傾向にありました)、2023年には26万人を越え、なんと5倍以上にも増えています。「発達障害」を支援する制度が整うことで、その増加にブレーキがかかるわけではなく、むしろどんどん加速がついています。
ちなみに、日本の全小学生の人数は1987年度(昭和62年度) 10,226,323人で、2023年度(令和5年度) 6,049,685人と約6割に減っています。
表中の「DSM」とは、アメリカ精神医学会が作成している精神疾患の診断・統計マニュアルです。これを用いて、医師による「発達障害」の診断がなされる(というより、一時期「なされた」と表記する方が正確なのですが)ことが一般的でありますが、DSMは数年毎に改定を重ね、そのたびごとにそれぞれの診断名の定義…どころか診断名自体までもが変わっていきます。実は、現在「発達障害」という診断名は用いられておらず、「神経発達症」という新しい診断名とおおよそ重複して置き換わっています。もうこの一点をもってしても、「発達障害」という診断名そのものは普遍的な科学として担保されているわけではなく、今日の状況はなんとなく奇妙に思えてきます。たしかに、「発達障害」診断は便宜的な科学としては有用な場合もあるのでしょうけれど、それを普遍的なものとして捉えることの弊害も考えてみるべきでしょう。しかし多くの方にとって、これは些末な問題なのでありましょう。
さて、この奇妙な児童数の推移がなぜ起きてきたのか、様々な説が言われるところでは言われておりますが、識者や専門家の間でもはっきりした原因が特定できていないどころかそれほど盛んに議論されているようでもありません。このまま、これら支援制度は依然として継続され、より支持され、拡大していくかのように思われます。児童数の極端な増加は気に掛けることではないかのようです。このまま今後、どこまでいけばこの増加は止まるのでしょうか?こうした統計の数字からすると、現行の支援制度は、例外はあるものの大方において、「普通学級への就学に向けてフォローするもの」としては、それほどの役割を果たしていないことが窺われてきます。このままいくと、この我々の社会にいったい何が起こるのでしょうか?
むしろ、これらの支援制度の要点は別にあって、「発達障害」概念の普及により、かつて適切な支援を受けられなかった子どもたちが被った不幸を二度と生じさせないために、一応それなりの根拠に基きそれぞれのお子さんの「障害」や「特性」を明らかにして、受容し、支援できる枠を設け、無理をさせることなく個々に合った恩恵や利益をもたらせるよう、諸々の機能をこの制度が果たす…と、そんな感じで一般的には捉えられているようです。概ね信じられている「発達障害は治らないものだ」という考え方を前提とするなら、こうした支援の位置づけは良いことのようであります。しかし近年、例えば「発達障害」の「過剰診断」といった問題を指摘する識者をお見かけする頻度も増え、多様な視点に基き、この支援制度をどう捉えるかは熟考を要するフェーズに入ってきていると個人的には感じます。ものすごく奥深い問題が内包されていることを予感するのですが、これもまた奇妙なことに一般的にはあまり語られることがありません。
実は過去を振り返ると、このような児童数増加についての着目は、すでに20年以上前ごろになされるところではなされていました。2004年には宮崎隆太郎氏の『増やされる障害児 「LD・ADHDと特別支援教育」の本質』(明石書店)、2010年には鈴木文治氏の『排除する学校 特別支援学校の児童生徒の急増が意味するもの』(明石書店)という書籍が出版されています。すでに議論は惹起されていたのです。しかし、私が見たところ、こうした問題意識は広く浸透することもなく、本格的な解決に至るほどの注目を浴びることなく、今日の状況が生み出されてきたように思われます。
なぜ、専門家の助言に従わないで就園や就学を決めたのに、順調な成長を遂げたのか?
私は、言語聴覚士の資格を持ち、療育と、それだけに留まらず、知的障害者入所施設、生活寮、教育相談員等々、そして、心のケアに関わる子育て相談室での修行期間も経て、2007年に個人で相談室を独立開業しました。公的な支援制度外の私設相談室です。偶然にも特別支援教育が実施された年と開業が重なりました。それ以来、自分が実際にお受けしてきたご相談と、世間一般でよく言われる発達支援制度の情報は、正直申しまして、どこかが食い違っているように感じられて仕方がないです。
私が経験した事例を挙げるとキリがありません。コミュニケーション面や行動面も含めて発達の問題はそれほど見られなくなっているお子さんが、公的機関の専門家から療育機関への通園が適応だから一般の就園を断念すべきと説得されたり、就学に際し特別支援学級を強く薦められたりするパターンがしばしばありました。大局として、このようなアクションがあまねく行われるようになったため、特別支援学級の児童数増加が起きてきたのだろうと察せられるわけですが。
もっとも、ケースによってはそれが適切な助言であることもありますが、いつの頃からか、「えっ?この程度でも分離教育を薦めるのか?」と驚くことが増えました。知能検査で問題が見られないお子さんでも、ほんのちょっとでも気になる徴候をあげつらっては一般の就園・就学を断念させようとするのです。進路については保護者の思いに従うべきところもあるので、一概にどちらが正しいかは言えないものだと考えますが、保護者が一般の就園や就学を望んでいる場合に、その価値観や人生観を誤りとしてしまうような風潮は子育てや生き方の画一化であり、多様性を否定する問題であると感じます。
実際に、私が見たところ、この子だったら園や学校の先生に十分相手してもらえるのではないか?と見立てられる上に、お母さんに詳しく尋ねてみたところ、公的機関の専門家がダメだと言っているだけで、当の園や学校の先生は何も問題にしていない…というので、だったらそのまま一般の園や学校に通えば良いのではないか?と進言したことが何度もあります。さて、その結果、その子が大きくなってどうなったでしょう?
それが、そのまま順調に勉学に取り組み、友だちとも関わり、趣味や得意なことや好きなことも楽しみながら成長して、後に立派な中学生や高校生になったとお知らせを下さることばかりなのです。それどころか、学校外のお稽古事や塾で賞をもらったり、優秀な成績を修めたりというお話も何度かお聞きしたことがあるくらいです。保護者の方からも本人からも、後々になって「先生に会っていなければ、今頃どんなことになっていたかとぞっとします」とお聞きすることが幾度かありました。もちろん、みんな、就学までは発達の遅れを心配されていたお子さんです。小学校に入学してしばらくは心配なこともあり、2年生くらいまでは拙相談室でフォローさせていただくこともありますが、困ったことも起きなくなり、もし何かあってもだいたい親子で乗り切れるノウハウや考え方をすでに体得しておられますから、そのまま相談室を卒業となる場合が多いです。「もし何かあったら、いつでも連絡をください」とお伝えしますが、そのまま連絡が来ることのない場合もありますし、「ちょっと心配なことがありました」と来室される場合もありますが、そんな場合もほんの一時的なもので、数ヶ月で解決に至ることが大半です。残念なことでありますが、ふとしたことをきっかけにクラス担任からの理解が得られなくなり(その一方で、管理職の先生方からは理解が得られることがありがち)、小学校卒業まで苦闘が続く場合もありましたが、中学受験を乗り切り、その後、平穏となる経過が近年増えています。
就園前に発達のことが心配で来室される方の場合、就園時に多くの園で入園を渋られるということが起きがちですが、いったん、入園すると他の子よりききわけがよく、きちんと園の活動に参加し、むしろ他のお子さんの多くが我が子より荒れていて大変そうだ…と感想をお持ちになる方が近年増える傾向を感じます。
本来、療育が「早期療育」と謳い、成そうとしていたことは、このような就園・就学に備える目的を持ったアプローチを含んでいたのではないかと思うのですが、近年、その志は忘れ去られ…というより否定もされ、むしろ子どもが持つ徴候に変化を促すことは「無理を強いること」であるとか、「障害が治るわけがない」と悪いこととして忌避されるようにすらなっている気配を感じます。というより、巷の多くには、こうした子どもの様々な徴候にアプローチする療育の技術が、驚くほど普及していないのが現実なのです。そんな技術が存在することすら、知られていないのです。代わりに「環境調整」や「特性に合った支援」のような技術が主流になっているように感じます。
もちろん、様々な人生のルートがあっていいし、それぞれの場合をサポートするアプローチを発展させるべきでしょう
普通学級に就学した例を述べましたが、私が関わるお子さんが全員そのような経過をたどるわけではなく、言語面、あるいはその他の発達への取り組みが就学以降に持ち越される場合もあります。
・アプローチ開始が幼児期の遅い時期、あるいは学童期になってからであった。
・出生時のハイリスクを経て、その困難を就学に至るまで乗り越えてきた。
・早期からアプローチを開始してコミュニケーション面は良くなってきていても、失語のような徴候が残る。
・あまりに学校がエクスクルーシブ(排他的な、除外的)な環境である。
それでも、どうか希望をお持ちいただきたいです。就学以降も継続してアプローチしていくことでまだまだ前進していけたケースも多く経験しています。発達云々というより高次脳機能の問題であれば、年齢が上がることで寛解に向かい、リハビリ風に刺激を継続していくことが大切な場合もあるのです。就学後のアプローチにおいて難易度が上がる技法もありますが、逆に、就学後であるからアプローチできる技法も出てきます。
本質的なことを申しますと、子どもは自分自身が成長している実感を持てなくなると自分の存在自体を否定的に感じ始め、自分が生きている意味を見失い始めます。あまりに満たされないと「ヤケ」を起こし始めます。人と比べて云々ではなく、昨日より今日、去年より今年…と、自分が先に進めている実感を持つことなしに自分の「存在」を保つことは難しいです。実際のところ、あらゆるどんなお子さんにも例外なく「知りたい」という知識欲はあって、「知ること」自体が面白いと感じる感覚を芽生えさせ、育てていくために、大人は試行錯誤していかねばならないと経験的に考えます。その時、乗り越えて行かねばならない様々な弊害への対処で専門性が役立ってくるものなのです。
そこを踏まえた上で、それぞれのお子さんがどう生きていくかの選択は多様であった方が良いと考えます。実際に私が関わらせていただく中でも、特別支援学校や特別支援学級に進学するお子さんもいますし、地域や学校によってはインクルージョン教育やオルタナティブ教育や他の独自の理念での教育に出会うことができ、それぞれの進路に進むケースもあります。数年前より、診断の有無を問わず多彩なお子さんへの教育実践ノウハウを蓄積している私立の小・中学校の受験にチャレンジし、入学に至るというお子さんのケースも複数経験しました。
世の中には様々な出会いがあるものですよね。「発達障害」の分類や、その診断に基く環境調整や指導法や技法の優れた使い手もおられて、成果を挙げておられることも想像いたしますが(現実に私が実際そういう実践家の方とお会いしたことはごくごく少ないものですが)、ここまでお読みになられて察していただけるかと存じますが、私が用いているアプローチはそれらとはルーツが異なるものであります。そんな立場から、セラピーや子育て法の伝統の中に今日の主流とは異なるけれど、本質的で力強く、且つ、優しくて優れたものがあることを広くお伝えし、多くの方に希望を持っていただきたいと強く願うのです。
まさか、「発達障害」の概念が普及していない時代に、成果を上げていたセラピーの流れがあったなんて…
先に、「発達障害」概念が一般に広がったのは1990年代以降であると述べました。そんな概念が無かった昔はさぞかしろくな支援法もない時代だったのだろうと想像されるかもしれません。
しかし、1990年代に入る頃は、多様な技法が花盛りの時代でありました。そんな印象が私にはあります。私が発達に関するセラピーに取り組み始めたのがちょうどその頃で、目の前の子どもが抱える問題を解決できる方法がどこかにないか?と探求の日々で、それはもう刺激的な時代でありました。
当時は、すでに行政による療育が行われ始めていた時代でしたが、3歳児健診などで気になる親子に療育機関をお薦めする形で、別段、診断名の有無を問わず、就学に間に合うようフォローをするという側面がしっかりありました。そのまま、医師の診断を受けないまま、これなら普通学級に就学しても大丈夫だろう…となるお子さんも珍しくありませんでした。
私の認識では、この時期、例えば自閉症なら自閉症の、あるセラピー技法を深く探求していった末に、その技法は自閉症ではない子どもにも効果があることが確かめられるような話がよくありました。それどころか、「健常」と言われるお子さんの子育ての困り事にも応用できるとされる場合もあるくらいでした。ですから、子どもについての「困り感」を解決するのに障害の診断が必ずしも必須では無かったのです。
このような技法を、私は「全体論的技法」と呼ぶようにしていますが、ここではあらゆる子どもに共通して適する側面を強調したいので、「汎用的技法」と呼んでおきましょう。
私は、「汎用的技法」の考え方に沿い、あらゆる子ども…というかあらゆる人間に共通した発達や成長の底にあるものを明らかにしていくことで、より良いセラピーが出来上がっていくものではないかという希望を持って進んでおりました。実際に、先人の作り上げた技法には優れたものがあって、様々な問題に対処できる上に、子どもに明らかな変化をもたらすことができました。私は、実践を通じて「汎用的技法」で間違いはない手応えを感じていたのです。
その一方で、新しく台頭してきた考え方がありました。自閉症の療育法で「自閉症児には自閉症児の支援法がある」と主張する流派が出てきたのです。このような考えに基づく技法をここでは「専用的技法」と呼んでおきましょう。
私には、療育界は大きく「汎用的技法」と「専用的技法」の2つの考え方の逆方向のベクトルを抱え始めたように見えていました。
とは言っても、この状況が高じて、決定的な、学問上の論争の末に決着がつく…という局面を目にしたことはなかったのですが、気が付いてみると「専用的技法」の勢力が療育界を席巻していたのです。
きっと、その時代をご存知ない方は、学問的にはっきり白黒つけたわけでもないのに、なぜ?と思われるでしょう。私見では、それぞれの流派の中心人物が政治的な中央や行政機関にうまくコネクションを持てるかという勝負になっていたように思います。現に、私はその当時、とある「(私の言う)汎用的技法」の第一人者の先生に、「○○法の人みたいに、なぜ厚労省や文科省のような中央の政治的なところにうまく入っていかないんですか?」と申し上げたことがあって、すぐさま先生から「私が政治的なことが苦手だからです」とご回答いただいたのであります。そんな若気の至りをやらかしたことを思い出します。
それから間もなくすると、表紙に「発達障害」と書いてあると本が売れる…という時代がやって来て、「発達障害」と言わなければ療育法としては広がらないような風潮ができてしまい、それとともに「汎用的技法」がいつの間にか影を潜めていることに気付くのでした。
セラピストへの依頼で、こんな間違いをしていませんか?
セラピーでは、「主訴」を真っ先に重視しなくてはならないです。それは即ちご家族が「セラピーに望むこと」「気になっていること」「困っていること」「解決したいこと」です。しかし、なぜか今日では「主訴」を素通りして、「○○障害だから」ということに着目してセラピーを行うことが当然のごとく行われがちです。ひょっとして、そんな風潮のせいで、ご家族の方が具体的に悩んでおられることが後回しにされていないですか?きちんとあなたの主訴を採り上げてもらっていますか?それ以前に、あなたの主訴をセラピストに伝えていますか?診断名がもたらす恩恵も確かにあることもあるでしょうけれども、それが必ずしも「主訴」と合致するとは限りません。そうなってくると当然、診断はついたけれども、子どもについての「困り感」は解消しないということが起きてくるのです。
私は、セラピーを行うのに子どもに観察される「徴候」を手掛かりにします。「徴候」は「主訴」に含まれているような様子や困り事も含まれますが、その他、問題にはなっていなくとも子どもに現れるちょっとしたしぐさや行動において「おやっ?」と気付かれるようなものも含まれます。そうした「主訴」解決への手掛かりを得るために、セラピストにはそうしたデリケートな観察眼が必要となってきます。
こうした「徴候」がなぜ起きているのか?を読み解いて、仮説を立てては「主訴」を解決するためのアプローチを行い、その結果を確かめることで自分の仮説が正しいかを検証し、効果が認められなければ仮説を修正していくようなやり方が従来のセラピーの本道でありました。このような考え方を「トライアルセラピー」と言いますが、実に教科書的なものです。
そして、これらの仮説を立てるための切り口がさまざまな療育法の理論にモデルとしてあるのです。ですから、ある「仮説」で主訴解決に至らなければ、他の技法の切り口で捉え直すということをしていけば良いことにもなります。
この営みをせずに、ただただ「○○障害ですから」の一辺倒で、「主訴」のことは置いてきぼりにする実践家にいくらセラピーを受けても、あなたの「困り感」が解消することなど起きるはずもないのです。もし、お子さんの発達について、もっと何かできることがないか?と感じておられるのでしたら、あなたの「困り感」解消に関わるような、かつて定評のあったマイナー技法を今日も細々と伝承しているセラピストや実践家をお探しになってみると良いかもしれません。あなたに合った有効な手立てを見つけることができるかもしれません。
「発達障害」コンセプトになってからは、療育分野は医療や福祉領域が中心となってきたように思われるのですが、こうしたマイナー技法で主訴解決を目指すセラピストは教育領域出身で多い気がします。とは言っても「特別支援」とつく肩書きの先生は、診断名に基く考え方で実践されるはずですのでいくらかは医療系寄りにポジションしているのでしょう。
理に適ったアプローチが広まらず、多くの幼児が抱えることになった今日の大問題とは?
「主訴」を前提としてなされるべきアプローチは様々ですが、これまでの私の実践経験からして、一番最初に取り組むべきアプローチはほぼ全てのお子さんで決まっています。矛盾しているようですが、ここがクリアできていないのに、その後を積み上げてもなかなか先に進まない要点があるのです。しかし、一般にこの問題にきちんと取り組む療育も不思議なくらいなかなかないものなのです。
それは、いわゆる「ききわけ」の問題です。「イヤイヤ期」「ダダこね期」「第一次反抗期」の問題と言っても良いでしょう。ききわけてくれないことも、ききわけが良すぎることも問題です。幼児発達の専門家でありながら、ここを正面に据えて取り組まないのは、考えてみればおかしなことです。それ故に先に進めなくなっているお子さんがたくさんいるというのが、私が自身の実践から痛感していることです。
「障害があるから、ききわけなんて無理でしょ」という理由を耳にすることもあります。しかし、実際のところ、私は重度の「知的障害」とされる成人の方々の「指示が通らない」と長年あきらめられていた問題を多数解決してきました。いわゆる「強度行動障害」と言われるものも含まれますが、その大半はまだ「イヤイヤ期」「ダダこね期」を終えていないことが拡大した問題だと捉えれば解決の糸口が掴めるのです。長年蓄積したいろんな思いが複雑に絡まっていることもあり、そんなに容易く解決できないこともありますが、その人の周囲の方々の理解を得ながら粘り強く進め、多数のケースを解決していくことができました。
極端な例を挙げましたが、要するに、発達や言語面の重篤な遅れがあっても、こころを大事にしながら「ききわけ」を促すことはできます。あまり知られてはいないですが、ノウハウとして確立されているのです。よくよく考えてみると、発達の遅れがあるお子さんに「ききわけ」を促さないままで構わないわけがないでしょう。「ききわけ」というのは、ただ大人の言うことを聞けばいいということではなく、子ども本人からの自己主張も大切にしなければ成し得ないことであるので、コミュニケーションや自己表出に大きな影響を与えます。実は、「ききわけ」が良くなることで発達面において得られることは多方面に広がっていきます。「発達の遅れ」といった場合、その解決は「発達に加速をつけること」にあると私は考えますが、ききわけが良好であることはそれを成すのに大いにプラスになります。これを成す技法は、まさに「汎用的技法」なのです。
「ききわけ」ができるようになることで得られるメリットを整理してみます。
・ききわけに関わる問題が主訴にある場合、直接、その解決に至る。(主訴として、ききわけの問題はとても多いです。)
・子どもが大人の言うことを聞くというだけに終始せず、その際に自分の思いも伝えながらききわけることを覚えてくれることで、親子の気持ちの通じ合いがスムーズになる。故に、コミュニケーション面での伸びが促される。
・お兄さんお姉さんらしくきちんとやることも、自己主張をすることにも長けてくる。それに伴い、本物の自己肯定感を持つようになる。
・納得した上で課題や学習に取り組めるようになるので、発達に加速がつきやすい。
・ききわけを促す際に気持ちを相手と通わせる経験をしていくことから、一緒にやりたい、同じことをするのは楽しい…という志向が強くなるので、模倣行動が増え、そのことが発達に加速をつけていくことになる。
私のセラピーでは、この「ききわけ」をどのように促していけばいいのか、理論的な説明をさせていただいた後、実際にアプローチしていきながら、その中でさらに保護者様の理解を深めていただいています。それぞれの親子でそれぞれ固有の行き詰まりがありますので、それについても細かく解決を図っていきます。
ここでは、一例として、「ききわけ」について述べましたが、それ以降のセラピーにおいても「主訴」の解決を目指して、さまざまな「汎用的技法」による切り口を基に見立てを行い、具体的に何をしていけば良いのかを明らかにして、有意義なアプローチを行えるよう努めております。拙わかばルームでは2007年の開業以来、現在の療育や特別支援教育や発達支援において誰もが当然のごとく依拠している「発達障害」の概念を用いず、それでありながら、主訴解決指向のセラピーを実施し、ご利用いただいた多くの方々からご支持をいただいてまいりました。
もし、ご自身に合ったセラピーが近隣で見つからなければ…
「発達障害」のコンセプトにこだわらなければ、世の中には意外にいろんな面白いセラピーをされている方に出会えるもので、私とはちょっと考え方は違うのでしょうけれども、あなたの地域でもそのようなセラピストや実践家や援助者を探してみると良いかもしれません。名うての実践家が私設の形態で開業されていたり、どこかの伝統ある流派の看板を掲げて運営されていたりする場合が時折あります。法人のような形で運営されている場合もあるかもしれません。
ただ、どんな方にも相性や、その技法の考え方や思想が自分の人生観や価値観や子育て観と合っているかは重要ですので、いずれにせよ吟味すべきことは様々あるでしょう。
一方で、自分の地域にそんな支援をしてくれる場所などないという場合も、残念ながら多いと思われます。私にしても、「ホームページを見て通いたいと思ったけれども、遠くて定期的には無理なので、とにかく一度だけでも会いたい」と初回相談をお申し込みいただいた経験があります。遠くても切迫した事情があって定期的に通わざるを得ない方もおられて、行き来だけでも大変で申し訳なることが幾度もありました。
しかし、時代は進み、コロナ禍の最中、拙わかばルームでは必要に迫られ、「オンライン相談」をスタートさせました。その後、私の私的な事情により、千葉県市川市から岡山県倉敷市に相談室を移転することになりましたが、このタイミングで「オンライン相談」の仕組みができていたことが大いに役立ちました。移転後も定期的に、あるいは緊急時に、オンラインの相談で皆様に安心感を持っていただくことや、日々起こる困ったことや気になることの解決でご利用いただいております。また、オンライン相談に加えて年に2~3回実施しております出張相談も併用していただくことで、集中度の高いリアルでのセラピーに繋げることも出来るようになってきました。オンライン相談だけでは手の届かないことや実演でなければ伝わりにくいことを出張相談でカバーしていく仕組みも考案し、実施してまいりました。(出張相談は、現在のところ、主に首都圏を対象地域としておりますが、ご要望に応じて徐々に拡大してまいります。)
首都圏で、拙相談室を移転後に口コミで知り、ご利用いただき、継続してご利用下さる方もおられ、ますますオンライン相談の可能性を感じるようになりました。私の考え方や援助法がもしお役に立てるのであれば、広く全国的にも海外にもオンライン相談の窓口を通して知っていただければと思うようになりました。
拙相談室のリアルのご相談の中で、これまで、ご自身のお子さんについての見立てや対応法をきちんと療育の職員や専門家から聞いたことがない、あるいはただただ「そうですね」「大変ですね」と共感することに終始し、納得いく解決法を提案してもらったことがない…とおっしゃる方にたくさんお会いしてきました。地域により、こうしたフォローをきちんとしてもらっている場合もあるとは思いますが、なかなかすっきりしない場合が多いのではないかと感じるのです。
優しい対話により、あなたのすっきりしないことや行き詰まりを解消し、日常の親子のやりとりがより快いものになっていくことを願います。また、お子さんの成長の過程で出くわす様々な難題を解き明かせる切り口を示し、納得と共に何をしたらよいのか?を見出し、あなたが前進への希望を持てるように努めてまいります。前進のためには良いことばかりではなく、試練のようなものもあるものですが、一見悪いことのように見える子どもの示す徴候が実は良い徴候であることも多いものなので、知識を持つことでそうしたイライラや心配を乗り越えられることもあります。子ども観が変わってくると、楽になり、お子さんをポジティブに感じる思いが強くなるようなことも起きてきます。
スマホやパソコンを通じてできるオンライン相談を使って、遠くにお住まいの方のお役に立てることがあれば幸いです。わかばルームでは、ご予約から料金支払いまで、できるだけ簡易に本ページから完了できる仕組みを作り、お気軽にご利用いただけるよう工夫いたしました。ケースによっては、リアルでのセッションでないとなかなか主訴解決をもたらすことが難しい場合もありますが、もしも首都圏やなんとか岡山県倉敷市まで通える距離にお住まいの方であれば、オンライン相談と数ヶ月に一度でもリアルのご相談を併用していただければ、より状況の変化を促すこともできるでしょう。
皆様からの声
以下、主にはリアルでのセッションとなりますが、一部オンライン相談を体験された方々からの声もございますので、ご紹介いたします。(掲載されているお客様の声は、個人の感想・体験談であり、セラピーの効果や成果を保証するものではありません。感じ方や効果には個人差があり、全ての方に同様の結果が得られるとは限りません。)
OAちゃん(4歳 男の子)のお母さんから
1歳半健診で言葉の遅れを指摘され、役場の保健師さんには療育と小児科(発達外来)受診をすすめられましたが、「本当にこの子に療育は必要なんだろうか?ちょっと発語が遅いだけでは?」と思い、我が子に適したサポートは何だろう?とインターネットで幼児教育(発達関連)を調べていて、たまたまわかばルームのHPに出会い、「これだ!!」と思って通いはじめました。
役場の運営する療育も、その他体験で遊びに行った幼児教室も、いまいちピンとこないし、息子もあまりのり気にならなかったなかで、わかばルームの奥山先生に出会えて、とても幸運でした。
先生に初めてお会いした時、我が子の発語がなぜ遅いのか、これからどうすれば良いのか、とてもわかりやすく説明いただき、我が子を心配してもやもやしていた気持ちがすぅ~っと落ち着きました。また、息子も先生と一緒にお勉強するのが大好きになり、メキメキと成長してくれて、とても安心したし、うれしく思っています。
先生のおかげで絵本好きになり、イスに座ってお勉強する姿勢が身につきました。また、1人でやるのが難しことでも、ねばり強くできるようになるまでがんばれるようになりました。(パズル、着がえなど)
言葉もよくしゃべるようになり、本当によく成長しました。奥山先生に出会えて本当によかったです。ありがとうございました。
Sくん(8歳 男の子)のお母さんから
4年8ヶ月通わせて頂きました。息子が1才半健診で言葉の遅れを指摘され、その後も発達センターに通うことを勧められ、そこで紹介して頂いたのがわかばルームでした。小学校に入学するまでは、わかばルームと発達センターに通いながら言葉だけではなく、身体面、メンタル面、勉強につながる訓練をして頂きました。息子自身も嫌がることなく通っていましたが、1番助けられたのは私自身です。
奥山さんには日々の悩みを相談し、アドバイスを頂いていましたので、何度も助けられ心の拠り所でした。コロナ禍で最後の1年間はオンラインになってしまいましたが、息子はお友達との会話も問題なくできるようになり、素直にまっすぐと成長しています。
わかばルームの奥山さんとの出会いは私たち家族にとってかけがえのないものになりました。
Nちゃん(3歳 男の子)のお母さんから
私が通い出したのは、息子が2歳半の時です。言葉が遅い上に、他の子にオモチャを譲れなかったり、手を出すことが多く、勝手に他の子と比べて悩む毎日でした。
市の相談所にも行きましたが、時期が過ぎれば解決するとの回答で、私の悩みは変わらず、どこか相談できる所はないかと探していたところ、この「わかばルーム」を見つけました。
初めての相談で、息子がどういう子か、どんな性格かなど色々説明してくださり、今までただ育てにくい子かもと思っていた気持ちが、すごく楽になりました。
通うにつれ、聞き分けも少しずつ良くなったり、落ち着きがでてきたり、成長したと思います。
私自身ちょっとでも子育てで疑問に思ったこと、悩みなどを次回の相談の際に、質問することで、一人で悩むことが減りました。
子どもへの接し方、遊び方など、なかなか分からないことも教えてもらえるので、勉強にもなり、通ってよかったと思っています。
Hくん(7歳 男の子)のお母さんから
わかばルームには、去年の秋ぐらいから約半年間、お世話になりました。
相談に伺ったころは、私は子どものことで悩み過ぎて、八方ふさがりの状態でした。Hは、家の外では周りの環境に順応しようとして頑張るのですが、家では、外での反動なのか、キレ方が尋常ではなく、特に母親の私に暴言を吐く、暴力を振るうことがたびたびでした。細かいこだわりが強く、こちらが意図したように話を受け取らない、話がかみ合わないなど、親子のやりとりもチグハグで、Hと一緒にいるのが苦痛でしょうがなかった。
そんな折、受診した病院で発達障害との診断を受けて、「ああ、だからわかり合えない部分があるんだ」と、発達障害関係の本や、その対応について書かれている本をよく読むようになりました。でも、悩みから抜け出したくて必死になって本を読んでいたとき、私はHから最も遠いところにいたんですね。そして、自分を宇宙人でも見るような目で見ている私に対して、Hは寂しかったのかもしれないし、怒っていたのかもしれませんね。
こちらにお世話になって、自然とその類の本を読むのをやめました。それは多分、自分の子どもを類型化してしまうのではなく、大事なのは、そのままのHに寄り添うことなのだということを教えていただいたからだと思います。
子どもが怒りを爆発させるということについて、私の受けとめ方も変わりました。以前は「親に対してこんなひどいことをして…」と情けなく思っていましたが、今は「爆発することは困ったことなのではなく、一回爆発することでHがまた頑張れる態勢に戻っていける、そういうプロセスなんだ」と思えるようになりました。
自分の思っている「イヤダ!」の気持ちを存分に発散すること、そして、それを否定されずに受けとめてもらえるという状態を奥山先生に続けていただいたおかげで、Hはだんだん落ちついていきました。現在、「もうわかばルームは卒業にしようか」と言っていただいてから2週間近くがたとうとしていますが、Hは随分穏やかになりました。
Vちゃん(4歳 男の子)のお母さんから
セラピー中は、感情を爆発させて毎回号泣する息子ですが、先生は全くひるむことなく、息子に真摯に向き合ってくださいました。そんな先生の気持ちを感じ取っていたのでしょうか、先生とお別れする時はいつも息子から手を振り、見送ってくれる先生を振り返ってもう一度手を振っていました。毎日通っている保育園でもそんな姿を見たことがなく、息子にとっても奥山先生は信頼できる存在なのだと思います。
自閉症と診断されてからは、 “自閉症だから仕方がない”と思って息子の成長を半ばあきらめていましたが、奥山先生から「焦らない」「あきらめない」という親としての心構えを教えていただき、息子の成長に希望を持つことができました。私たちのように子どもの発育でお悩みの方が「わかばルーム」と繋がって、希望を持つことができたら良いなぁと思います。
Uちゃん(4歳 男の子)のお母さんから
息子の発達の課題に、悩み、苦しく、暗闇の中をもがくような日々が続きました。
わかばルームでは幼稚園とも事業所とも違う決まりのない空間の中で、息子の中にもっている目には見えない力を自然なやりとりの中でひき出してくれるかかわり方にとても救われました。
はじめは泣いていた息子も、泣き方が変わり、泣かなくなり、最後には自分で歩いて階段を登り、インターホンを押すまで成長しました。
何より親自身の気持ちのもち方が一番子どもに影響することも学びました。
Tくん(8歳 男の子)のお母さんから
初めてわかばルームを訪れたのは、息子が6才の頃でした。
自閉症で全く言葉を発せず、療育先でも一番“何もできない子”でした。
息子の未来に希望が持てず、藁にもすがる思いで訪れた私達親子に「必ず自分の意志を伝える方法を教える」と断言して下さった先生を信じ、2年半。
私達親子にも少しずつ未来への光が見えて来ているように感じます。
先生は息子の力を信じてくれます。
大人の言うこと、ちゃんと理解しているよ。
色んなことを考えている。
この子も成長したがっている。
そんな言葉の一つ一つに希望が湧きます。
月2回の指導の際には、問題行動の1つ1つに対し、原因や課題、解決法を一緒に考え、アドバイスを頂けます。
大変な出来事が起こる度に「ああ…先生に相談しよう」と思える相手がいることは大変な支えになります。
先生はとても変わった方(変人…?)だと思うことも多々ありますが(笑)とても信頼できる方です。
Pちゃん(4歳 男の子)のお母さんから
こちらに通わせて頂いたのは、息子が2歳10ケ月の時、言葉が遅いことを心配していた為でした。
ほぼ同じ頃、市の療育にも通い出しましたが、いろいろなアプローチを試したくて、「わかばルーム」を見つけお世話になることになりました。
息子の「怖がり」という性格を配慮して頂き、慣れるまでの数回は「自由遊びの時間」を利用させてもらい、その後、「月2回・2時間」のコースで通いました。言葉が遅いことにしか私は気が付けずにいましたが、専門の先生から見て、その他にもどんな問題点があるのか、又、先々にどう影響するのかをお話し頂けて、本当に良かったと思っています。日常をどう過ごすと良いのか、大人はどう接したら良いのか等、毎回、詳しく説明して下さり、参考にしたり、実践することも多かったです。こちらでは、その子に合ったサポートをして頂けると実感しております。
M君(9歳 男の子)のお母さんから
小学校3年生の普通の学校に通う男の子です。
わかばルームに通うきっかけは、2才ぐらいになっても言葉が出ず、動きまわったり、コミュニケーションがなんとなくとりづらいなと感じていたからです。子供を育てながら、こういう時はどうしたらいいのだろうと思って、毎日、悩んでいました。自分ではどうしていいかわからず、自治体の運営する発達センターに通うようになったのですが、私としてはアドバイスが欲しかったのですが、悩みを質問しても、「そうですよね」とか「ダメですね」とかしか答えが返ってきませんでした。幼稚園も普通の幼稚園は無理とずっと言われ続けたのですが、知能テストでやっと範囲内だった為、普通の幼稚園に通う事が出きました。そこで、3才から通い始めた、わかばルームでは、いつも子供の事をみてくれて、幼稚園も普通の所で大丈夫そうと言ってくれました。わかばルームに通っていて一番良かったのは、アドバイスです。外で動きまわったりするのは、子供と一緒に手をつないで、散歩をする練習、手は絶対にはなさない事、コミュニケーションがとれないのは、アンパンマン自動販売機で遊んで、とアドバイスをもらって、やってみたら本当に、落ちついたり、コミュニケーションがとれるようになりました。言葉は吃音があるのですが、気持ちをリラックスしてもらったりして、普通に生活して、友達と遊んだり、学校に通っています。
L君(5歳 男の子)のお母さんから
なにもせず1年後まで待っていて問題ないのだろかと漠然と不安を抱えながら、ネットで調べていくうちにわかばルームのことを知り、ホームページの奥山先生の子どもの立場に立った考え方に共感し、一度相談にのっていただきたいと思いご連絡しました。当日は丁寧に疑問に答えていただき、また、どうするのが子どもにとって良いのか専門的な知識と先生のご経験から意見をいただく中で、親として今後の対応をどうしていくか方向性がみえてきて、すっきりした気持ちになりました。わかばルームは、自宅から少し遠方だったのですが、お伺いして直接相談にのっていただいてよかったなあと思いました。
その後も、保育園の先生と長男のことばのことで行き違いがあったときにも、奥山先生にメールで相談させていただいて、親としては不安になるようなことでしたが、先生のアドバイスで冷静に対応することができました。
子どものことで少しナーバスになっていたところに奥山先生は笑顔で、親身に相談に乗っていただき、私自身の不安な気持ちのフォローもしていただいたなあ、と感じています。学校や病院とは違った民間の先生は、立場に縛られることなく子どもの状況からフェアな意見をいただけるので、相談してよかったと思っています。
A君(8歳 男の子)のお母さんから
今まで学校では、授業中ウロウロと動きまわったり、友達とトラブルを起こしたり、パニックを起こしたりして先生方を悩ませていました。でも最近は45分間の授業をきちんと受けられるようになり、集会などで整列した時も、どこにいるか分からない程、落ち着きが出てきました。言葉の遅れは少しあるものの、意味を理解できるようになってきたのか、相手の気持ちや言葉を受け止められるようになってきたようです。同時に、自分の感情を言葉で表現できるようになり、以前に比べ友達とケンカしたりパニックを起こしたりすることが減ってきました。
先日マラソン大会があり、走力に自信がある本人は当然、上位入賞をねらっていました。もともと一番にとてもこだわりを持っているので。でもスタートで後方からの圧力で転倒してしまい、19位という結果に終りました。今までなら一番はとれないと判断すると、もう走ること自体やめてしまい投げ捨てていたのに、最後まで頑張って走りぬきました。これは担任の先生も驚く変化です。「くやしい」→「でもがんばろう」と自分で感情をコントロールできるようになってきたのではないかな?と感じています。
A君(18歳 男の子)のお母さんから再び
奥山先生にお世話になり、早15年経ちました。
その時々で問題となっている事、人との関わりで悩んでいる事など一つ一つ丁寧にゆっくりと解決して頂きました。そうしているうちに、落ち着いて行動できるようになり、気づいたら吃音もなくなり、自然と仲間もでき、笑って遊ぶ姿が見られるようになりました。
中学校卒業後は療育手帳の交付を受けて、特別支援学校に進学、そして今年の春から一般就労で社会人として一歩を踏み出しました。
15年間、月4回2時間のコースでお世話になっていました。自宅からわかばルームまでは電車で1時間かかり、通うことは容易な事ではありませんでした。しかし、長い年月をかけて今振り返ってみると、幼少期には想像も出来なかった立派な社会人に成長できたことは、紛れもなく奥山先生の指導のお陰だと実感しています。
私と同じように悩み、苦しんでいる方がいたら心配しないで大丈夫と声を掛け、わかばルームを勧めてあげたいと強く思っています。
わかばルームのオンライン相談に、お申し込み下さい。
わかばルームのオンライン相談は、Googleのサービス「GoogleMeet」を利用して行います。スマホかパソコンをお持ちで、インターネットに接続できれば始められます。スマホの場合、「GoogleMeet」アプリをインストールしておくと便利ですが、必ずしも必要ではなく、通常のブラウザでも接続できます。Googleのアカウントをお持ちであればより確実に繋がりますが、Googleにログインできなくても繋がるようではあります。(ただし、Googleからアプリの利用やログインを勧められることはあるようです。)
もしも、GoogleMeetに接続できるか心配でしたら…
まずは、単発のご相談をお申し込み下さい。
単発のご相談は1時間で、相談料は4,200円です。
相談料はキャッシュカードでの前払いとなります(JCB/Diners Club/Discover/Visa/Mastercard/Amex/UnionPay
)。ご予約はSquareのシステムを利用しております(他サイト)。
1)↓「今すぐ予約」をタップorクリック
2)次の画面or本画面の「ことばと発達と子育てのオンライン相談」をタップorクリック
3)「予約」をタップorクリック
3)さらに次の画面のカレンダーでご希望の日時を選択
4)次の画面で、クレジットカード情報をご記入いただき、キャンセルポリシーのチェックボックスにチェックを入れ、必要に応じて「予約に関するメモ」をご記入ください(「今後の購入のためにわかばルームがこのカード情報を保存することを承認します。」というチェックボックスが表示されますが、チェックを入れなくてもご予約できます)。
5)「予約する」ボタンをタップorクリック
5)予約リクエストは調整中となります。わかばルームからのご予約の承諾通知が届く時点で料金の決済が行われ、お申し込みの完了です。
ご予約承諾の後、GoogleMeetのご案内をメールでお送りします。ご予約いただいた日時にメール内の「ビデオ通話のリンク」のURLをクリックまたはタップして、GoogleMeetにお入りください。カメラとマイクのON‐OFFを選択する表示が出ますので、全てONにして下さい。
※オンライン相談実施時までに、↓以下リンクのGoogleフォーム(他サイト)のページで「問診票」にご記入いただけますと、より良いご相談へと繋がりやすくなります。3ページで最大全21問の問診となっております。時間もなく緊急の場合は難しいですが、可能なようでしたら、よろしくお願いいたします。
オンライン相談(わかばルーム)問診票
またお子さんの気になる様子など、動画に撮ってお送りくださるとそこから読み取れることも多くございますので、必要に応じて動画ファイルをメールに添付してお送りください。
☆プライバシーポリシー
尚、わかばルームでは、オンラインにて学習支援、構音指導、ピアノレッスンも行っております。そちらについての詳細は「ビデオ通話によるオンライン相談」ページをご覧ください。




